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No:565 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part560 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/08/23 09:24:11 単表示 返信

ジェーン・グレイの系譜は以下のようになります。

ヘンリー7世─メアリー・テューダー─フランセス・ブランドン─ジェーン・グレイ

一応直系に当たるのですが王位継承順位は低くされていました。

何故かと言いますと祖母と母が揃ってイロイロやらかしたからなのですが──────

その辺は機会があったら追い追い。


          ◇          ◇          ◇


閑話休題。

ライル卿は工作の手始めとしてジェーン・グレイを自分の息子ギルフォード・ダドリーと結婚させました。

ジェーンの母フランセスはこの政略をヤバイと感じていたようで、かなり反対したようですが──────

悲しいかな基本的にこの時代の夫人というのは一部を除いて発言権が無きに等しかったのです。


          ◇          ◇          ◇


そしていよいよエドワード6世の死期が明確に近づくと、ライル卿は瀕死の寝所に乗り込んでジェーンを次期国王に指名する遺言状を書かせました。

ほとんど狂信の域にまで達していたエドワード6世は頑強な旧教信者であるメアリー1世を蛇蝎の如く嫌っていたので、この説得()はとても容易だったと言います。

これで新教と自分達の未来は安泰だ──────

そう思ってた時期が、彼らにもありました。


          ◇          ◇          ◇


1553年7月6日、エドワード6世崩御。享年16歳。

ライル卿は葬儀もそこそこにジェーン・グレイ即位宣言を行います。

枢密院もこれを全面支持し、ノーサンバランド公の黄金時代がやってくる──────

などと思う暇もなく、彼らにとっての凶報が飛び込んできます。

メアリー1世の脱走、そして即位宣言です。
  • No:566 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part561 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/08/30 09:21:20 単表示 返信

    メアリー1世のこれまでの生は、不遇と波瀾に満々ていました。

    物心付く前から政略結婚と破談を繰り返し、9歳の頃にはクズ王から「お前の母と結婚したのは間違いだった」などとほざかれる始末。

    その上庶子に落とされ仕えてくれた使用人とも引き離され、挙句の果てに継母から娘のメイドになれと強要されたとあっては陰湿さに定評のある名作劇場も真っ青な境遇です。

    並の人間ならここで折られていたでしょう。

    しかし。

    後の「ブラッディ・メアリー」は並ではありませんでした。


              ◇          ◇          ◇


    一つの転機は悪辣な継母アン・ブーリンが処刑され、メアリーの宮廷復帰が成されたことです。

    処刑の理由はアンに飽きたクズ王が捨てるためにあらゆる罪でっち上げたという最低極まってるものでしたが・・・・・・

    陰湿ないじめから解放されたのは事実です。

    ──例えそれが、後に宗教観でバチバチにいがみ合うエドワード6世の母ジェーン・シーモアのたっての願いだったとしても。


              ◇          ◇          ◇


    歴史の皮肉はさておき。

    貴人としての地位を実質回復したメアリーは、自身の教訓から味方を作ることに腐心していたようです。

    とっかえひっかえするクズ王との関係は冷えたままでしたが、アン以外の王妃とは概ね上手くやっていたようです。

    実務にも有能であることを示し、政務では無駄に有能な下半身王からも宮廷の代理主人として認められていたようです。

    ──そして、彼女の地道な努力が実を結ぶ日がやってきたのです。


              ◇          ◇          ◇


    エドワード6世がいよいよ助からないと知れた瞬間、「ブラッディ・メアリー」は即座に行動を起こしました。

    ロンドンを手早く脱出し、ノーフォーク領に駆け込んでノリッジで自らも即位宣言を行います。

    彼女の下には有力者逹が続々帰参し、大きなうねりとなってロンドンに押し寄せるのです。
  • No:567 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part562 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/09/06 09:38:05 単表示 返信

    一方ライル卿 & ジェーン・グレイ陣営はと言いますと。

    さっぱり支持が集まりませんでした。

    それどころかライル卿の私兵の半数が寝返ったとも。

    これはもう文字通り歴史的ざまぁと言う他ありませんわね。

    どんだけ人望なかったの? と言いたくなりますが・・・・・・

    まあ大義がなかったと言うことにしておきましょう、うん。


              ◇          ◇          ◇


    勿論メアリー1世のそれまでのイメージ戦略が功を奏したのは確かです。

    ですが、ライル卿の失点と言いますかやらかしが大きなウェイトを占めたのも、また事実です。

    具体的に言うと

    1.先代ヘンリー8世が定めた王位継承順位を、私欲と保身で正当な理由なく無視したこと
    2.当時民集の宗派はまだまだカトリックが多く、言うほど宗教改革は進んでなかったこと
    3.農地改革で現政権に不満が溜まりまくっており、政権転覆の気運が潜在的に高まっていたこと

    etcetc

    まあぶっちゃけ負けて当然と言いますかほぼ自滅でしたわね。


              ◇          ◇          ◇


    とはいえ。

    敵失を的確に捉えて好機を生かしたメアリー1世も天晴でありました。

    特に1.と2.を最大限利用した手腕はお見事と言わざるを得ません。

    そりゃあ後世山程創作のモデルにもされようと言うものです。

    もっとも、好意的なものはかなり後にならないと出て来ませんでしたが。


              ◇          ◇          ◇


    それは何故かと言いますと・・・・・・

    まあ通称のブラッディ・メアリーからお察しというところです。

    もっとも何十年も鬱積した鬱憤が爆発しても止むを得ないとは思いますけどね。

    それくらい苦難の連続でしたから。

    彼女の人生は。
  • No:568 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part563 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/09/13 10:28:36 単表示 返信

    まあもっとも。

    鮮血女王と陰口叩かれるメアリー1世ですが、物の道理が分からない程ではありませんでした。

    ライル卿に担がれただけとわかり切っていたジェーン・グレイに対しては、最後まで温情をかけていたと言います。

    流石にと言いますかモロ主犯のライル卿にかける情けは持ち合わせていなかったようですが。

    まぁ残念でもなく当然ですわね。


              ◇          ◇          ◇


    それでも結局ジェーン・グレイは親のサフォーク公ヘンリー・グレイ共々断頭台の露と消えた訳ですが。

    これにはメアリー1世の婚約者であるフェリペ2世から「処刑しなければ婚約破棄だ!」等と悪役令嬢モノの冒頭みたいな要求を突きつけられたからとも。

    またその結婚そのものに反逆するワイアットの乱にヘンリー・グレイが参加してたからとも言われています。

    まー担がれただけとは言え旗印を放置なぞ有り得ませんでしたから。

    処刑を渋ったのは単なる私情でしかなかったと言えばそうなります。


              ◇          ◇          ◇


    とは言え。

    メアリー1世と言いますかこの王位交代劇の評判の大半が、この後にやってきたエリザベス1世時代に息を吹き返したプロテスタントの捏造でしたので。

    この辺の話も、もっと正当な処刑すべきでない理由があったかもしれません。

    しかしながら処刑しなくてはならない理由も証拠付きで山程ありますので・・・・・・

    結局のところ、歴史にifはないと言ったところでしょうか。


              ◇          ◇          ◇


    まあ何にせよ。

    ジェーン・グレイの在位期間はたったの9日でした。

    何処の戦国武将かと言いたくなりますが・・・・・・

    独断専行甚だしいとは言え、仮にも正規手続きで即位したジェーンと比べるのは失礼ですわね。

    もっとも。

    人は彼女を「クィーン・ジェーン」と呼ぶことは終ぞありませんでした。

    民衆ってホント残酷ですわね。
  • No:569 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part564 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/09/20 09:05:53 単表示 返信

    さて。

    三日天下ならぬ九日天下を下して唯一無二の女王となったメアリー1世ですが。

    最初にやったことは宗教改革の破棄でした。

    ライル卿の危惧した通りになった訳ですが・・・・・・

    以前少し触れましたが、そもそもプロテスタントは言うほど浸透してなかったので揺り戻しは容易に行われたと言います。

    まあ庶民にとってはプロテスタントの教義なんぞちょこっと礼拝のやり方が違うだーけーであったことは想像に難くありませんでしたので。

    お上がコロコロ変えんな鬱陶しいくらいは思っていたでしょう。

    ま、革命はいつもインテリが頭でっかちに始めると何処ぞのニュータイプも言っていましたからね。

    地に足がついてなかったのは確かなようです。


              ◇          ◇          ◇


    そもそもな話として。

    プロテスタントの起こりは『教皇らの贖宥状乱発の根拠を論破する』ものです。乱暴な言い方ですが。

    贖宥状はある程度裕福でないと買えませんでしたし、起源的にはやむを得ずお金で解決するものなので、そんなもんに金出すくらいなら巡礼しろが正しい姿です。

    庶民からして見れば『お上がよく分からんことで言い争ってる』くらいにしか思われてなかったでしょう。

    まあつまるところが。

    革新的シューキョーとやらに大して恐れ入ってなかった・・・・・・と言ったら言い過ぎでしょうか?

    ただまあ。

    発狂してるのはお貴族様ばかりで、農民等が大規模なプロテスタント迫害反対一揆を起こしたなんて話は聞かないのは事実であります。


              ◇          ◇          ◇


    とまあ、そこそこ順調な滑り出しであったメアリー政権ですが。

    1年も立たない内に前途に暗雲が垂れ込めます。

    スペイン王フェリペ2世との結婚です。


              ◇          ◇          ◇


    例によっての政略結婚でしたが・・・・・・

    意外と上手くいくことの多い政略結婚の中でも、これは歴史に残る大失敗でした。

    結婚当時は双方にメリットがあると当事者は思っていましたが・・・・・・

    現実は非情だったのです。
  • No:570 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part565 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/09/27 09:26:30 単表示 返信

    何故上手く行かなかったか?

    勿論諸説ありますが・・・・・・

    一番の理由はやはり「性格の不一致」ではないでしょうか。

    当時メアリー1世38歳、フェリペ2世27歳。

    おねショタ言うにはちと歳を食い過ぎていますわね。

    しかもこの時期、フェリペ2世の親でスペイン国王カール5世がそろそろくたびれてきて息子に王位譲ろうか、なんて話が出ていました。

    入婿にするにはちと都合が悪かったのです。


              ◇          ◇          ◇


    更に言いますとフェリペ2世は筋金入りの国粋主義者で、生涯スペイン語しか話さなかったと伝えられます。

    ますますもってイングランドに骨を埋める気なんぞミリもなかったのです。

    事実フェリペ2世は結婚後2年もしない内に即位を口実にスペインに帰国、1年半も経ってからようやく3ヶ月ばかり顔見せしただけですぐ帰国と露骨にも程がある態度を取ってきました。

    ちなみにこの二度目にして最後の来英の時期、メアリー1世は卵巣腫瘍を発症してたと見られ、健康を害していたことはすぐわかったと思うのですが・・・・・・

    流石音に聞こえた暴君、人の心がありませんわね。


              ◇          ◇          ◇


    不幸は個人間に止まらず、国家規模で牙を剥きました。

    王族同士が婚姻してるのですから、自動的にイングランドとスペインは同盟国です。

    この当時フランス王はアンリ2世で、スペインと何かにつけバチバチやり合っていました。

    その果てとして第六次イタリア戦争が起こり。

    イングランドも同盟国として巻き込まれていくのです。


              ◇          ◇          ◇


    まあ一応。

    援軍要請した時点ではスペインはフランスをサン=カンタンの戦いで撃破したばかりで優勢ではありました。

    まあそれで調子こいて逆撃を食らうのですが・・・・・・

    それが知ってる人には結構有名なカレー包囲戦です。
  • No:571 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part566 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/10/04 16:17:40 単表示 返信

    ここで言うカレーとはドーバー海峡北端に位置する要衝のことで、現在英仏海峡トンネルのフランス側出口が開いている場所です。

    ドーバー海峡で最も狭い場所として知られ、また当時フランスとブルゴーニュがここを挟んで睨み合っていた戦略地点でもあります。

    ちなみに綴りはCalaisでケルト部族Caletiに由来します。

    CurryRiceとは何の関係もありませんので悪しからず。


              ◇          ◇          ◇


    そのカレーですが200年くらい前からイングランド領土になっていました。

    エドワード3世がブイブイ言わせていた時代ですわね。

    しかし広大な領土も今は昔、ここカレーの地は今や大陸で唯一確保している領土と成り果てていました。

    何故縮小を続けるイングランド領地の中でここだけ維持できてかと言いますと・・・・・・

    ちょっとしたパワーゲームのバランスがあったのです。


              ◇          ◇          ◇


    先程触れましたが、カレーはフランスとブルゴーニュの国境近くにあり、ちょくちょく小競合いが発生していました。

    またカレーは要塞化して頑強になっており、どちらかの手に渡ると中々面倒なことになるのは明白でした。

    イングランドも時々ここから周辺にちょっかい出してはいたのですが、ここのところ内情不安定が続いており大規模な活動はしないだろうと見られていました。

    そんな訳で。

    カレー要塞は奇妙な平穏を保っていたのです。


              ◇          ◇          ◇


    その均衡が破れたのは、時のローマ教皇パウルス4世がフランス王アンリ2世を唆してイタリア戦争再燃させたことを端を発します。

    当然元から敵対しているスペインにも飛び火し、スペイン国王フェリペ2世はパリへの侵攻を決意します。

    フェリペ2世はサヴォイア公エマヌエーレ・フィリベルトと同盟してサン=カンタンの戦いで大勝利を収め、いよいよ長年の因縁に決着を付けるべく侵攻を開始します。

    ダメ押しとばかりにイングランドも参戦させ、磐石の体制で挑むハズだったのですが・・・・・・

    その計算を狂わせたのが、このカレー包囲戦だったのです。
  • No:572 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part567 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/10/11 09:05:39 単表示 返信

    カレー要塞は先述した通りイングランドのヨーロッパ大陸への橋頭堡でした。

    当然スペイン侵攻軍への援軍はここを拠点とする予定でした。

    つまり裏を返せば。

    ここを失陥させればイングランド軍は撤退するか、少なくとも大幅な軍事計画の見直しを強いることが出来たのです。


              ◇          ◇          ◇


    ということで。

    このところ負けが込んで権威が失墜しつつあったアンリ2世の乾坤一擲大逆転の秘策が、カレー攻略大作戦と言う訳です。

    3万もの大兵力を秘密裏に分散派遣し、当時の常識として奇想天外の真冬に奇襲をかける大胆な作戦を立案し、実行しました。

    そして1558年1月1日。

    電撃カレー包囲戦が発令したのです。


              ◇          ◇          ◇


    潜伏していたフランス軍は乾いた草原に付けられた火の如く怒濤の侵略を見せつけました。

    思いもしなかった大軍の奇襲に浮き足立ったのか、イングランドの誇るカレー要塞群は僅か3日で陥落しました。

    1週間もしない内に各カレー砦には3色の国旗が翻り・・・・・・

    地方名も「Pays reconquis」、つまり「再征服国」と改名されてしまったのです。


              ◇          ◇          ◇


    ・・・・・・いやまあ何と言いますか。

    ちょくちょく出てきますけど、ことあるごとに大人気ないマウント取りするのは民族性か何かなんですかね?

    仮にも高貴な血筋なんですから・・・もうちょい知性とか品格を持ってほしいところですわね。

    まぁ当時の実態を示す資料と言われればそれまでですけど。

    これもまた歴史の闇と言ったところでしょうか。
  • No:573 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part568 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/10/18 09:05:25 単表示 返信

    さて。

    思いの外あっさりカレーが陥落して戦力と功を逸る諸公を持て余したフランス軍は、余勢をかってネーデルラントまで侵攻しました。

    ここを越えればスペインを望むところまで到達できます。

    所謂反転攻勢ですわね。


              ◇          ◇          ◇


    これに驚いたフェリペ2世は、急いで迎撃態勢を整えさせます。

    すわネーデルラント決戦か? と思われた矢先。

    第6次イタリア戦争は、双方思いもかけない形で決着することになるのです。


              ◇          ◇          ◇


    「カネがないぞ。これからどうするか決めてくれ」

    ベレー帽軍服が似合う何処ぞのイケボ恐妻家が言ったかどうかは定かではありませんが。

    身もふたもないことを言うと、フランススペイン両軍ともに軍資金が尽きて破産しました。

    無計画にも程があるって? 正直わたくしもそう思いますわ。

    ですがまあ、当時のどんぶり予算ぶりを考えれば残当ではないでしょうか。

    そんなこんなで6回目のイタリア戦争は終結し、講和が結ばれたのです。


              ◇          ◇          ◇


    このカトー・カンブレジ条約はフランスとスペインの間で結ばれ、イングランドは蚊帳の外でした。

    フランスとスペインは新たに領土を獲得しましたが、イングランドはただカレーを失陥しただけーで何の成果も得られませんでした。

    メアリー1世にとってはまさに踏んだり蹴ったり。

    フェリペ2世と結婚さえしなければこんなことには・・・! と周囲が失望通り越して絶望したのも宜なるかな、ですわ。
  • No:574 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part569 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/10/25 09:41:54 単表示 返信

    そもそもの話として。

    イングランドがスペインに加勢して何の旨味があるかと言えばぶっちゃけありませんでした。

    確かに宿敵フランスとは何かにつけやり合ってましたが・・・・・・

    はっきり言えば国内問題が山積みで本来それどころではなかったのです。


              ◇          ◇          ◇


    その上。

    実を言いますと・・・メアリー1世がフェリペ2世と結婚するにあたり、議会は幾つもの注文をつけてフェリペ2世に約束させていました。

    概ねはイングランドに内政干渉させないという条件でしたが・・・・・・

    その中に「スペインとフランスの戦争にイングランドは関与しない」という条項もあったのです。


              ◇          ◇          ◇


    なので第6次イタリア戦争出兵自体が重大な横紙破りです。

    議会の大反対をガン無視して強行した結果がご覧の有様では、そりゃ擁護する人も居なくなろうと言うものです。

    メアリー1世の周りからは誰もが去って。

    離れた人々は次期女王候補筆頭たるエリザベス1世の元に集っていったのです。


              ◇          ◇          ◇

    自らの凋落に為す術のないメアリー女王は、憎悪と絶望の日々を過ごす内に本格的に健康を害していきました。

    結婚当時から罹患していたとされる卵巣腫瘍がいよいよ悪化し、妊娠と見紛う程の水脹れも発症しました。

    ・・・実際は妊娠としたかったのかも知れません。

    何故なら。

    メアリー1世に子が居なければ、自分の死後は憎き従姉妹が玉座を簒奪(メアリー視線)するのを防ぐ術がなかったからです。