名状しがたいSSBBSのようなものお試し版

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  • No:595 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part590 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2024/03/20 10:51:07 単表示 返信

    まあ一応。

    ノーフォーク公は事実、北部貴族でも首謀格のウェストモーランド伯等に計画中止要請を送ったりしてました。

    しかしどうもエリザベスからはポーズと取られたようで・・・・・・

    結局ノーフォーク公は毎度御馴染ロンドン塔に出荷されていったのです。


              ◇          ◇          ◇


    そもそもロバートがゲロって計画バレして女王から詰められた後に自領に引きこもったのが悪手でありました。

    宮廷無断欠席した挙げ句に病気で入院しますーなどと後から連絡だけ寄越すとか、ナメとんのか思われても致し方無し。

    と言いますか。

    なんで政治屋って都合が悪くなると『入院』するんですかね?

    額面通り受け取るアホウがいるとでも思ってるんでしょうか。

    そんなナメた態度だから処刑されるんですわ。


              ◇          ◇          ◇


    もっともまだこの段階では処刑されませんでしたが。

    一応北部貴族を説得しようとしたことが功を奏したか、ウィリアム・セシルが「反乱を企てた証拠はない」として釈放を諫言したのです。

    どうもエリザベス的には「自分より先にメアリーが結婚するのが許せん」感があったようなのですが・・・・・・

    流石にまぁた下半身事情で乱を起こす訳にも行かぬと自重したようです。


              ◇          ◇          ◇


    そんなこんなで。

    「二度とメアリーに近づくな」と異常な程念押しされてロンドン塔から晴れて出所したノーフォーク公でしたが・・・・・・

    残念ながら断頭台は、彼を逃そうとはしなかったのです─────────
    • No:596 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part591 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2024/03/27 08:44:45 単表示 返信

      さて。

      ノーフォーク公の運命を決定づける「リドルフィ事件」の前に。

      イングランドの方向性を決定づける極めて重大な事件が勃発します。

      時のローマ教皇ピウス5世による教皇勅書"Regnans in Excelsis"の発布。

      エリザベス1世のカトリック教会破門がなされたのです。


                ◇          ◇          ◇


      現代において信仰の自由を享受するわたくし達には想像できないほど、この時代シューキョーは世界に重大な影響を与えていました。


      ──と、よく言われますが。


      実のところ、一部の狂信者を除いてマジでタテマエ程度にしか思われてなかったようであります。


                ◇          ◇          ◇


      事実、エリザベス即位前から協調路線を取っていたフェリペ2世なんて「余計なことすんなハゲ」とほぼ直球でクレーム入れてましたし、教皇の地元神聖ローマ帝国ですら皇帝から撤回の要請があったくらいです。

      ついでに教皇勅書自体にもエリザベス憎しのあまりか不備があり、カトリック陣営からすら無効じゃないか言われる始末でした。

      それでもピウス5世は頑なに撤回を拒否。

      この問題は誰も予想できない破門を広げていくことになります。


                ◇          ◇          ◇


      先に述べた通り、破門をネ申がどうたらな視点からガチに捉えているのは少なくとも国家指導者層にはほとんどいませんでした。

      しかし。

      裏を返せばそれ以外、貴族層には少なからずいたと言うことです。

      そしてその温度差が。

      取り返しのつかない惨劇のトリガーを引くことになるのです─────────
    • No:597 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part592 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2024/04/03 08:40:52 単表示 返信

      当時エリザベス朝はユグノーの最大の支援者でした。

      本音としては「敵の敵は味方」程度でしかなかったようでしたが・・・・・・

      しかし実際、これはエリザベス最大の敵に対して実効がありました。

      イエズス会。

      ピウス5世とスペインとべったり癒着している旧教勢力です。


                ◇          ◇          ◇


      彼らは憚らず言えば狂信者集団でした。

      頭でっかちの神学者と言い換えても良いです。

      彼らは神の愛()とやらが何者をも救うと固く信じていました。

      それを宗教文化侵略として利用したのは腹黒い権力者だったかもしれませんが・・・・・・

      知らなかったで済んだら戦争なんざ起こりゃしないのです。


                ◇          ◇          ◇


      ともあれ。

      エリザベスとその側近たちはイエズス会が教皇とスペインの尖兵であり、宗教侵略の手駒であることを看破していました。

      実のところ破門宣告はピウス5世から遡ること実に7年も前から画策されており、対策を練る時間は十分あったのです。


                ◇          ◇          ◇


      この時期には既にイングランド国教会は制度整備をほぼ終えており、当時から破門の実効果は危ぶまれていました。

      それでも強行したピウス5世はどんだけと言わざるを得ません。

      本当狂信者が権力握るとロクなことがありませんわね。
    • No:598 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part593 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2024/04/10 08:44:21 単表示 返信

      とまあ。

      言うほど実効力のなかった破門ですが・・・・・・

      タテマエとしてはまぁまぁ有効でした。

      名目上旧狂信者であるメアリーを御輿にするには十分であったと言えます。

      もはや楽隠居の道は絶たれたのです。


                ◇          ◇          ◇


      まあもっとも。

      隠居して余生を過ごす選択肢は端から眼中にないようではありました。

      事あるごとに我こそはイングランド王家正統後継者であるとのたまってましたからね。

      その意味では処刑ルートは避けようがなかったかもしれません。

      少なくともこの期に及んでは。


                ◇          ◇          ◇


      そんなこんなで。

      ストーリーofメアリーは最終章を迎えることになります。

      前座と言うと何ですが・・・・・・

      起承転結の承にあたる事件が幕開けます。

      リドルフィ事件がそれです。


                ◇          ◇          ◇


      リドルフィというのは人名で、フィレンツェの銀行家ロベルト・ディ・リドルフィから取られています。

      メアリーを王位につけてエリザベスを排除しようと企む教皇ピウス5世からの刺客です。

      彼はまず最初にメアリーと接触し、燻っていた玉座への執着に火を付けました。

      そしてメアリーをやる気にさせたリドルフィは、次にイングランド大貴族ノーフォーク公に接触しに行くのです。
    • No:599 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part594 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2024/04/17 17:41:18 単表示 返信

      ノーフォーク公宅を訪れたリドルフィは、当代当主にメアリーをイングランド女王とする計画に加担するよう迫りました。

      しかし前回で心底懲りたノーフォーク公は、頑として首を縦に振ろうとしませんでした。

      まあ失敗すれば今度こそ振る首が無くなろうというものですから当然といえば当然です。

      もっともそれだけではなかったようですが。


                ◇          ◇          ◇


      ここら辺に関してはかなり諸説あり・・・・・・

      ・破門の影響は最小限とはいえ、それはエリザベス一派の辣腕によるもので今政権が倒れては混乱必至
      ・メアリーは今でも個人的には好意的に見ているが、そもそもイングランド王位につける気はなかった
      ・あわよくばの野心がないとは言わないが、今はその時期ではない

      etcetc

      特に時期に関しては味方ヅラしたノータリン共にひどい目に遭わされたばかりですからね。

      さもありなんですわ。


                ◇          ◇          ◇


      どうやら説得の目がないと悟ったリドルフィは、一見大人しくノーフォーク公宅から引き上げます。


      しかし。


      この後この男は、とんでもないことをやらかすのです──────!


                ◇          ◇          ◇


      リドルフィはミッションであった「ノーフォーク公からローマ教皇及びスペイン王フェリペ2世にメアリーのイングランド王位就任への援助依頼を行う」を、なんと自分で手紙を書いて捏造しやがったのです。

      一応は「ノーフォーク公のサインはない」と言ってはいますが・・・・・・同意は得ている等とほざいてれば誤差ですわ。

      いやもう、どんな神経してたらこんなことできるんですかね?

      心臓どうなってるか解剖してみたいですわ。

      もうとっくに朽ち果ててますけど。
    • No:600 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part595 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2024/04/24 08:39:58 単表示 返信

      と言いますか。

      実はこの男、直前の北部諸侯の乱の時にも旧教側で活動してまして・・・・・・

      あっさり後の秘密警察長官フランシス・ウォルシンガムにとっ捕まってたりします。

      まあ大した活動もしてなかったのであっさり釈放された訳ですが・・・・・・

      後の動きの不自然さから、この時に『仕込まれていた』との見方もあったりします。


                ◇          ◇          ◇


      と言いますのも。

      北部諸侯の乱以前より、放蕩女王メアリーを野放しにしていては旧教反逆の芽が尽きることはないというのが秘書長官ウィリアム・セシル派の見解であり。

      近い将来何らかの形で排除しなければならないと考えていたからです。

      つまるところがリドルフィはそのための「草」

      旧教派に見せかけた埋伏の毒であった、というものです。


                ◇          ◇          ◇


      彼は銀行家であり、その筋でローマ教皇と近しい位置にいました。

      その伝でスペインとも交渉があり、何某か小細工を弄するのであれば接触を受けやすい立場にあったのです。

      そして事実、彼はローマ教皇から内乱工作の依頼を受けたのです。


                ◇          ◇          ◇


      ついでに言いますと。

      ウィリアムは前々からノーフォーク公と政治的に対立していて、先の乱で仕留めきれなかったことを苦々しく思っていました。

      ノーフォーク公は大貴族であり、本人はやんわり否定していますが旧教派と見られていました。

      つまり。

      この機に乗じて「疑わしきは罰する」仕掛けても何ら不思議はないということなのです。
  • No:585 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part580 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2024/01/10 08:45:14 単表示 返信

    まあ見方を変えれば浮いたり沈んだり忙しい大貴族にあるまじき不安定さな訳ですが。

    仮にも公爵位が3回も断絶するとか中々あるものではありませんわ。

    と言いますかトマス・ハワード自体が3回目のノーフォーク公叙爵でして、ハワード家以前にもトマス・モウブレーとリチャード・オブ・シュルーズベリーがそれぞれ第1期ノーフォーク公、第2期ノーフォーク公と呼ばれていました。

    ちなみに第1期は政敵と決闘寸前に当時の王リチャード2世に諸共追放されて客死、第2期は政敵にハメられてロンドン塔送り、第3期は歴代ロンドン塔に通い詰めともはや呪われてるんでは? な送葬たる爵位となっております。

    ・・・・・・いやホントマジで誰か呪っているのでは?

    この時代呪咀の元には困らないにしてもちょっとアレすぎな気がしますわ。


              ◇          ◇          ◇


    閑話休題。

    メアリー1世の元で大逆転決めた3代目ノーフォーク公は1554年に死去し、孫がトマス・ハワードの名とノーフォーク公爵を受け継ぎます。

    ちなみに1ヶ月前にメアリー1世はフェリペ2世との結婚を強行してますので、まさに凋落のとば口でひと足お先にあの世にエスケープした訳ですわね。

    もしかしたらお先真っ暗な未来を垣間見て絶望のあまり寿命を縮めたのかもしれませんが。

    そこら辺は神と本人のみぞ知る、ですわね。


              ◇          ◇          ◇


    さて。

    4代目ノーフォーク公を引き継ぎ、トマス・ハワードとなった野心溢れる18歳男児は、手始めに婚姻政策で権力の拡大を狙いました。

    伯爵や男爵令嬢を次々娶り、自領へと取り込んでいきます。

    そしてエリザベス1世の戴冠式を取り仕切り、枢密顧問官へと昇り龍の如く突き進みます。

    一見すると順風満帆な人生。

    しかし不満の芽は、着実に根を張っていたのです。


              ◇          ◇          ◇


    それというのも。

    枢密顧問官の前にガーター勲章に叙せされていたのですが、あろうことかついこの間大逆罪で処刑されたジョン・ダドリーの五男ロバート・ダドリーと同時だったのです。

    一回だけなら誤射かもしれませんが、枢密顧問官への就任まで同時とあっては意思(或いは悪意)を感じるなという方が無理でしょう。

    実際エリザベス1世には大貴族ノーフォーク公爵家を牽制する意図があったと言われています。

    それが正しかったかどうかは・・・・・・正直微妙なところです。
    • No:586 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part581 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2024/01/17 08:43:45 単表示 返信

      と言いますのも。

      ノーフォーク公を牽制するなんてのはタテマエで・・・・・・

      愛人ロバート・ダドリーを重用するのが主目的と言われていたからです。

      ・・・・・・こう言っては何ですが。

      この時期のぢょうおうって色ボケしかいないんですかね?

      創作の青い血が軒並みちょろいのも作者の欲望と言い切れなくなってきますわ全く。

      困ったものです。


                ◇          ◇          ◇


      閑話休題。

      流石にリアル一目惚れがそう頻出する訳はなく。

      エリザベスとロバートの間にはそれなりの関係性がありました。

      最初の馴れ初めは先代"ブラッディ・メアリー"の時代、エリザベスがロンドン塔の常連さんに名を連ねていた頃でした。


                ◇          ◇          ◇


      メアリーが即位する前の「9日天下」女王ジェーン・グレイを擁立したジョン・ダドリーがロバートの父であることは以前触れました。

      実はロバートも積極的に関わっており、父処刑の次は彼の番であることは火を見るよりも明らかでした。

      そのためロンドン塔で順番待ちしていたのですが、そこで同じく大逆罪容疑で投獄されていたエリザベスと出会ったのです。


                ◇          ◇          ◇


      ロマンティックと言えるかは微妙な線ですが、お互い明日をも知れぬ身の上。

      吊り橋効果があったとて何等不思議はないでしょう。

      ついでに財産を取り上げられて困窮していたエリザベスを支援したこともあったようです。

      偉くなる前に優しくされたらコロっと逝くのもまあ、分からないではありませんわええ。
    • No:587 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part582 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2024/01/24 09:08:10 単表示 返信

      ともあれ。

      他ならぬ大逆罪(しかも真っ黒くろすけ)で投獄とあればどうあがいても断頭台一直線だったはずのロバートですが・・・・・・

      彼にはメアリー1世に対する特効とも言うべきコネがありました。

      母ジェーン・ギルフォードがメアリーの母キャサリン・オブ・アラゴンの侍従をしていたことがあったのです。


                ◇          ◇          ◇


      更にキャサリンはカール5世の叔母であり、そのルートでフェリペ2世ともコネがありました。

      さしもの"血塗れメアリー"も母と(この時点では将来の)夫からの要請は断りきれなかったと見えて、無事ロバートは釈放と相成りました。

      まあ首謀者of首謀者のジョン・ダドリーはどうあがいても処刑以外の道はありませんでしたが・・・・・・

      担ぎ上げられたジェーン・グレイとその夫のギルフォード・ダドリーの処刑にはあまり前向きではなかったそうなので、積極参加とは言え共犯でしかないロバートの処刑は案外最初からなくてもよいくらいの認識だった可能性はあります。


                ◇          ◇          ◇


      とまあ、本人認識では九死に一生を得たロバートは恩返しのためにフランス軍との戦いに身を投じます。

      目覚ましい功績を上げた訳ではなかったようですが・・・・・・

      無事五体満足でイングランドに帰投しました。

      エリザベスと熱烈な抱擁を交わしたかは定かではありませんが。

      無事を喜びあったことは想像に難くありません。


                ◇          ◇          ◇


      そしてイングランドにとって無益な戦争が一旦終わり。

      失意の底でメアリー1世が崩御した後──────

      新女王エリザベス1世が誕生します。

      そこから本格的に、ロバート・ダドリーの華麗なる波乱の人生本番が幕開けたのです─────────
    • No:588 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part583 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2024/01/31 10:29:49 単表示 返信

      先にも触れましたが、エリザベスは即位するや否やロバートの重用を始めます。

      主馬頭に始まり枢密院顧問官、ガーター勲章etcetc

      これで目覚ましい功績でも挙げていれば周囲の見方も変わっていたでしょうが・・・・・・

      この時点のロバートの功績と言えば、メアリー時代に要らない戦争に参加していたことくらい。

      ここまで成り上がるだけの実績があるとは到底言えなかったのです。


                ◇          ◇          ◇


      あからさまな依怙贔屓で出世したとなれば、当然周囲の反発は避けられない訳でして。

      中でもノーフォーク公は公然と「貴様王配狙ってイングランド好きにするつもりだろうベッドで死ねると思うなよ」と言い放ったといいます。

      後の所業を考えればどの口で言ってんのでありますが。

      まあ貴族なんてのは面の皮厚くないと勤まらないのでしょう。


                ◇          ◇          ◇


      そんなこんなで。

      ロバートは根も葉もある風評の中、一応それなりに業務をこなしていたのですが。

      1590年9月に、重大な事件が起こります。

      妻エイミーが階段下で不審死を遂げたのです。


                ◇          ◇          ◇


      この時期、ロバートが女王と浮気しているというのは公然の秘密でした。

      エイミーは親戚の家に別居させられ、毒殺を恐れて食事はまず飼い犬に与えるほど警戒していました。

      それだけ用心深ければ、階段から突き落とされるくらいは想定していたでしょう。

      しかし現実には、エイミーは転落時に折ったと思われる頚骨骨折で死亡していたのです。
    • No:589 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part584 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2024/02/07 09:02:17 単表示 返信

      現場の絵画が現代まで残されていますが・・・・・・

      ちゃんと手すりがあり、階段自体の高さもさほどではありません。

      ましてや日々警戒していたエイミーが『うっかり』転げ落ちるようには全く見えません。

      ついでに言えば当時の貴婦人は自宅であろうとも帽子を被るのが常識でして、現場にも帽子が転がっていました。

      しかし頚骨挫傷=頭部を強く打ったにも関わらず。

      帽子にはそのような形跡が見られなかったのです。


                ◇          ◇          ◇


      この怪しすぎる事件に、しかし検死官は不自然なまでに早く「事故死である」と断定しました。

      誰の思惑か知りませんが・・・・・・

      少なくともロバートとエリザベスにとっては凶報以外の何物でもありません。

      何故かって?

      世間は「女王が盲目になって邪魔なエイミーを暗殺した」としか見ないに決まってるからです。


                ◇          ◇          ◇


      実際この「風評」は事実であるかのように吹聴されました。

      敵対派閥(ノーフォーク公とかエリザベス腹心ウィリアム・セシルとかカトリック残党とかetcetc)もここぞとばかりにロバートと女王の結婚に反対しまくります。

      そんな逆風の中。

      エリザベスは苦渋の決断をせざるを得なかったのです。


                ◇          ◇          ◇


      エリザベス1世が即位したのが1558年11月20日、エミリーが『事故』死したのが1590年9月。

      1年半程度しか経っていません。

      その複雑な経緯から基盤が磐石とは言い難い政権で、しかもこのところイングランド王室は"この手の"やらかしで短命に終わりまくっています。

      流石に同じ轍を踏む訳には行かなかったのです。
    • No:590 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part585 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2024/02/14 09:00:28 単表示 返信

      ついでに言えば。

      平穏な時期がなかったとまで言われる『エリザベス王朝』ですが、この1560年代はまさに激動の時代。

      ただでさえ難題が山脈連ねているのに、これ以上クリティカルな問題追加するなと各方面からクレームつけられても致し方ないところではありました。

      規模は比ぶるべくもありませんが似たような立場のわたくしとしましては、心中お察ししますとしか言えませんわね。


      ・・・・・・結婚意識してる相手がいるのかって?


      ええい黙秘ですわ黙秘!!


                ◇          ◇          ◇


      おほん。

      そんなことはどうでもよろしくてよ。

      今語るべきはこの時期のエリザベス王権が如何に不安定であったか?

      それだけです。

      ええそれだけですとも。


                ◇          ◇          ◇


      いや実際本当に、就任したての女王稼業は前途多難ってレベルじゃありませんでした。

      前任者は本来無能ではなかったのですが・・・・・・晩年恋愛脳で見事にやらかしてくれやがったお陰で内外政はガタガタで抜本的な見直しを迫られており。

      宗教問題に至ってはこれまた前任者の強硬策の反動が噴出しまくっていて何処から手を付けていいやらの状態であったのです。


                ◇          ◇          ◇


      そんな訳なので。

      前任者がやらかした主原因と思われてる恋愛脳を表立って出すことは政治的にも物理的にも死を意味しました。

      ・・・・・・いやこう言っては何ですが前任者祟り過ぎでしょう。

      これマジで呪いの域に達してません?
    • No:591 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part586 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2024/02/21 08:37:39 単表示 返信

      まあオカルトはともかく。

      間に一人下半身事情と無縁の王(エドワード6世)を挟んだものの、イングランド王家がここのところシモで破滅していたのは事実。

      特に前任者は宗教弾圧までソッチ関係と見られていた節があります。

      ・・・いやホント、色に目が眩むとロクな事になりませんわね。

      くわばらくわばら。


                ◇          ◇          ◇


      とまあそんな訳なので。

      エリザベス1世は本当に、ほんっっっっっっとうーーーーーーに断腸の思いでロバートと結ばれることを諦めざるを得ませんでした。

      この辺りは山程創作されていますので、気になった諸兄は漁ってみてはいかがでしょうか。


                ◇          ◇          ◇


      もっとも。

      結婚は諦めたとしても依怙贔屓ゲフンゲフン推しを辞める気はなかったようで。

      1000ポンド/年にも及ぶ白生地の輸出税を渡したり、レスター伯に叙したりしています。

      ぶっちゃけ公私混同もいいところですが・・・・・・

      前任者と言いますかここのところの王は大体似たようなものだったので、あきらめムードが漂っていたようです。


                ◇          ◇          ◇


      そして何をどう拗らせたかわかりませんが・・・・・・

      エリザベス1世はロバートをふらふらしてるスコットランド女王メアリー・スチュアートに宛てがおうと画策します。

      一説には結婚反対派急先鋒のウィリアム・セシルの策だとも言われていますが真相は不明です。
    • No:592 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part587 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2024/02/28 08:41:04 単表示 返信

      そして当のメアリーはと言いますと。

      どうやらほとんど関心がなかったようです。

      ・・・・・・まあ散々っぱら自分の婚活邪魔してくれやがったエリザベスの持ってきた縁談なんぞフツーにノーセンキューでしょう。

      誰だってそーしますわたくしだってそーします。


                ◇          ◇          ◇


      特にこの時期は、イングランドと怨恨ありまくりのフェリペ2世の息子ドン・カルロスとの結婚を真剣に考えていた辺りです。

      イングランドの都合なんか知ったこっちゃなかったでしょう。

      と言いますかこの頃もずっっっっっっと「イングランド女王に相応しいのは私!」言いまくってましたからね。

      なんぼ恋愛脳のアホでもこんな見え見え過ぎるハニトラには引っかからなかったのです。


                ◇          ◇          ◇


      まあこの時期だとヘンリーに脳破壊されてなかったので多少は政治的な頭も残っていました。

      イングランドに隷従するつもりならともかく真逆なんですから論外of論外という奴です。

      ・・・ここでちっとはメアリーにも利がある提案しときゃーこの後の展開もう少しマトモになったんじゃないかと思いますが。

      当時それやると増長して手がつけられなくなった可能性もあります。

      難しいところですわね。


                ◇          ◇          ◇


      ちなみに。

      もう一方の当事者であるロバートがどう思ってたかと言いますと・・・・・・

      あんまり気にしてなかったようです。

      彼は元々浮気性のケがあり、次々乗り換えることに忌避感がなかったと言いますか。

      「縁がなかった? そうだねじゃあ次行ってみよう」みたいなところがありました。

      そんなだから死んで涙するのエリザベスだけになるんですわ。

      まあ一人いるだけマシという考え方もないではありませんが・・・・・・

      わたくしは賛同しかねますわね。
    • No:593 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part588 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2024/03/06 08:44:03 単表示 返信

      さて。

      時は流れ、メアリーがヘンリーと考えうる限り最悪の別れをして。

      あろうことかイングランドに亡命爆弾を持ち込んで暫し。

      イングランド宮廷に一つの陰謀が生まれます。

      歩く爆弾のメアリーにノーフォーク公という鈴をつけようという計画です。


                ◇          ◇          ◇


      事の起こりは、女王エリザベスが平民でプロテスタントのウィリアム・セシルを側近としている事態に旧教貴族らが不満を抱いている宮廷力学からでした。

      エリザベス自身は宗教融和政策を取っていたのですが・・・・・・

      TOPが言ってハイそうですかとなるなら、この後も100年以上戦争したりしません。

      その上権力闘争も密接に関係しているのですから、正直やってられないというものです。


                ◇          ◇          ◇


      まぁとは言っても。

      放置していいことなぞ何一つありません。

      嫌でもやらなきゃならないのが女王のつらいところですわね。

      後世でなんだかんだ言われまくる女王ですが、その辺りは同情に値しますわええ。


                ◇          ◇          ◇


      ともあれ。

      新教のセシルと(一応)旧教のロバートを同時に重用することでバランスを取っていた(つもり)のエリザベスでしたが、ぶっちゃけ後者に関しては私情駄々漏れすぎて宗教バランスなんておためごかしは誰も信じていませんでした。

      旧教側の不満が溜まるのもむべなるかなです。

      そんな訳で。

      イングランドの宗教内乱は始まったばかりだったのです─────────
    • No:594 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part589 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2024/03/13 08:42:58 単表示 返信

      まあ一応。

      首謀者のノーフォーク公とロバートは、女王に反旗を翻すなど以ての外と考えていたようではあります。

      お題目としては宗教にそれ程のめり込んでないノーフォーク公がメアリーを操縦することで旧教勢力から引き剥がし、同時に王位簒奪を未然に防ぐというものでしたが・・・・・・

      言っては何ですが、当時でもほとんど信じられてなかったようですわよ?

      何かにつけ「私こそがイングランド女王正統である!」とか抜かしてるメアリーは有名でしたからね。勿論悪い意味で。

      その上ガチガチの旧教狂信者と来ては、絵に書いた餅の方がまだ食べられそうというものです。


                ◇          ◇          ◇


      更に言うと。

      この陰謀に加担した一大勢力である北部貴族どもなんて、エリザベス廃位しか狙ってないと言っても過言ではありませんでした。

      実際バレてから開き直って叛乱起こしてますからね。速攻で鎮圧されましたけど。

      正確には途中で軍資金が尽きて途中で解散ですが・・・・・・

      言っては何ですが、もうちょっと計画的に物事運べなかったんでしょうかね?

      まあ計画破綻してやけくそ蜂起のようでしたから、残当と言えば残当です。


                ◇          ◇          ◇


      そもそもなんでこの陰謀がバレたかは諸説ありますが・・・・・・

      ウィリアム・セシルが思想の元、秘密警察を組織中だったフランシス・ウォルシンガムの最初の手柄とする説もあれば、セシル自身の情報網(当時北部長官だったサセックス伯など)に引っかかったとも言われています。

      まあ当時から不満たらたらでしたからね。

      官憲としてはマークしていて当たり前といえばその通りでしょう。


                ◇          ◇          ◇


      しかしまあ。

      制御不能の狂犬どもと組まねばならなかったノーフォーク公は御愁傷様ではあります。

      放置してたらもっと酷いことになると考えたのでしょうが・・・・・・

      結果的に大差ありませんでしたわね。

      己が生まれの不幸を呪うがいい、としか言いようがありませんわ。

      なんまんだぶなんまんだぶ。
  • No:575 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part570 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/11/01 09:43:46 単表示 返信

    そりゃまあ自分(メアリー1世)が下半身父王の遺言を盾に玉座に着いたんですから、其処に明記されてる王位継承順位(エドワード6世>メアリー1世>エリザベス1世)を反古になんぞしようものならただでさえ危うい自分の評判がマントル層ぶち抜いて地球の中心まで潜航するのは火を見るよりも明らかです。

    流石に直系子女がいれば、遺言より歴史ある継承法が優先されたでしょうが・・・・・・

    子を産めなかった以上、遺言は置いといてもエリザベス1世以上に血の濃い親戚は存在しなかったのです。


              ◇          ◇          ◇


    とは言うものの。

    人間は所詮感情の生物です。

    自分を庶民に貶めた上、母を追放した売女の娘を認める道理なんぞメアリー1世にはありゃしませんでした。

    それでも死のギリギリ間際になって愛国心が勝ったのでしょうか。

    崩御の前日に。

    メアリー1世は、エリザベス1世を後継者と認めたのです。


              ◇          ◇          ◇


    1558年11月17日、メアリー1世崩御。享年42歳・在位5年の年数で言えば平均的な、しかし波瀾に満ちた人生でした。

    彼女の人生は徹頭徹尾下半身王に振り回されましたが・・・・・・

    最後の方はまあ、言ってはなんですが自業自得だった部分がかなりあったかと思います。

    致命打となったフェリペ2世との結婚は・・・・・・まあ打算が狂っただけなんでしょう。

    同じ名前のスコットランド恋愛脳女王程色ボケはしてなかったようです。

    とは言うものの、旨味の薄そうなイタリア戦争に出兵してしまった辺り、もしかしたらもしかするかも知れませんが。

    この辺は文字通り墓まで持って逝ってしまったので謎のままですわね。


              ◇          ◇          ◇


    それにしても。

    人の命日を200年にも渡って祝日化するイングランドの民度はどうなってるんですかね?

    プロテスタントを老若男女無差別に近く37564にしてたのは事実ですが・・・・・・

    政策として圧政を敷いた訳ではなさそうですし、やしり新教の連中があることないこと吹聴して回ったのではないでしょうか?

    全く・・・勝てば官軍とはよく言ったものですわね。

    呆れたと言うより正直ドン引きですわよ?
    • No:576 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part571 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/11/08 09:42:42 単表示 返信

      まあそんなこんなで。

      いよいよイングランドはテューダー朝末期、通称エリザベス朝の時代を迎えます。

      しばしばイングランド最盛期とも呼ばれるこの時代。

      そのトップリーダーたるエリザベス1世は・・・・・・

      まあ色々諸々様々な言われようをしますが、歴史に燦然と輝く傑物であったことは誰にも否定できないのです。


                ◇          ◇          ◇


      彼女に関する話は何処ぞの山メニュー並に超大盛りですので、機会があったら都度お話するとしましょう。

      ・・・いや本当、何でこんなにイベント特盛なんですかねこの人。

      時代の節目と言われればそれまでですが・・・・・・

      歴史の荒波に飲まれなかったから名を残したのか、寵児が波乱を呼んだのか。

      今となって時代をある程度俯瞰できるようになっても、この鶏卵論争にケリが付く気がしませんわね。

      例えタイムマシンがあったとしても。


                ◇          ◇          ◇


      まあ時空の歪みだとか運命の流れとかが可視化でもされれば別かもしれませんが。

      そうであっても、人の意志が全て丸見えにでもならなければやっぱりどちらが原因かなんてわかりゃしませんし、それでいいとわたくしは思います。

      だって歴史のifまで確定してしまったらつまらないじゃありませんか。

      何もかも確定した未来なんて、あっていいこと何一つありゃしませんわ。

      不確定なくらいがちょうどいいのです。


                ◇          ◇          ◇


      と、言ってはみたものの。

      わたくしは少ないながらも面倒見てやらなければならない者達がいます。

      不確定を楽しむのは余裕が出来てからです。

      いやはや全く・・・・・・面倒なことですわね。
    • No:577 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part572 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/11/15 09:43:05 単表示 返信

      閑話休題。

      暫く国内あらゆる意味でてんやわんやのイングランドですが。

      例によって外患も抱えていました。

      まあ正確には内憂みたいなもんですが・・・・・・

      紆余曲折有りまくった女王エリザベス1世の玉座を脅かす『もう一人のメアリー』。

      スコットランド女王メアリー・スチュアートその人です。


                ◇          ◇          ◇


      この恋愛脳女王については前にもちょくちょく触れてきましたが・・・・・・

      表舞台に立って盛大にやらかしまくるようになるのは、実はエリザベス女王即位からです。

      正確には半年程前のフランソワ2世との結婚からですが。

      まあこの時やらかしたのは義父のアンリ2世の方ではありますが・・・・・・

      何にせよ、『もう一人のメアリー』のやらかしヒストリーデビュー戦ではあったのです。


                ◇          ◇          ◇


      で、そのやらかしの内容ですが。

      アンリ2世「エリザベス? あんな王族籍何回も剥奪された奴に玉座が相応しい訳ないだろいい加減にしろ。うちの息子の嫁はその点血統書付きだぞさっさと譲位しろ」(意訳)等とイングランドにクレーム入れやがったのです。

      いやあもう、それはそれは炎上したそうですわよ?

      まあもっとも。

      その方が都合がいい旧教派どもは挙って支持したらしいですが。


                ◇          ◇          ◇


      元を正せば無思慮に王妃とっかえひっかえした下半身王が全部悪いんですけどね?

      奴はとっくにあの世に逃亡済なので責任取らせることも出来ません。

      かくして。

      ただでさえ面倒な宗教戦争に俗世の利害関係まで加わって。

      欧州はあちこち巻き込んで週修不能の混乱の時代に突入していくのです─────────
    • No:578 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part573 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/11/22 08:49:42 単表示 返信

      ──まあぶっちゃけた話。

      この時期の混乱は歴代フランス王が方々に要らない喧嘩吹っ掛けては頓死とを繰り返したことによるのが大きいです。

      流石にあの世にトラバーユ予定だから後先考えない欲望一直線したんじゃあないと思いたいところですが。

      仮にマジでそうだったとしても驚きはないと思いますよええ。

      それくらい酷かったのです。


                ◇          ◇          ◇


      そうするといい迷惑なのは自国の民と隣国です。

      まあもっとも民はともかく周辺諸国も大概似たりよったりではありました。

      イングランドは元よりスペインもプロイセンもオーストリアもやってることは大して変わりません。

      暇さえあれば1に侵略2に侵略、34も侵略5に侵略です。

      正直どの面下げて優雅だ気品だ抜かしてるのかと。

      まあ、本質アレだからこそ上辺だけでも取り繕おうと言うところでしょうか?

      ・・・わたくし?

      わたくしは生まれも育ちも文明人ですわよ?

      内実蛮族と一緒にしないで頂きたいですわね、ほほほほほ。


                ◇          ◇          ◇


      閑話休題。

      フランス王太子を産めなかったメアリーは、夫の死によりフランス宮廷での居場所を失いました。

      元々イングランドから亡命してきたようなものですし、親戚筋のギーズ一家は時の摂政母后カトリーヌ・ド・メディシスとの暗闘に明け暮れていて王妃の立場を喪ったメアリーにはほとんど目もくれなかったのです。


                ◇          ◇          ◇


      まあもっとも。

      メアリーのスコットランド女王としての立場は押しも押されぬものですし、何ならイングランド玉座にだって手が届く血筋です。

      正直なところ、彼女的にもフランスに居座っている意味はほぼほぼなかったと思われます。

      なのでスコットランドに帰国するのに抵抗はなかったんじゃないでしょうか。

      ただし。

      それが本人にも周囲にも幸せをもたらしたかと言いますと・・・・・・まあうん。

      人生いろいろありますわええ。
    • No:579 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part574 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/11/29 09:38:12 単表示 返信

      まあもっとも。

      何一ついいことがなかったか? と言いますと別にそんなことはなく。

      彼女がいなければ歴史あるイギリス王室の血筋は断絶していました。

      そりゃ傍系辿ればいたはいたでしょうが・・・・・・

      正統かつ直系が今日まで続いたのは間違いなくメアリー・スチュアートの功績です。

      エリザベス1世が王族の勤め果たさなかったとも言いますが。

      まあこればっかりは縁ですので。


                ◇          ◇          ◇


      とは言え。

      当時王が血を残すなんてのはアタリマエ以前の話だったので当然評価なんぞされませんでしたが。

      「宮廷では評価されない項目ですからね」等と嘯いたかは不明ですが・・・・・・

      まあ要らない火種だったのは確かです。


                ◇          ◇          ◇


      ただまあ。

      ダーンリー卿なんていう『ハズレ』を引かされたのを、彼女自身にだけ問題を帰結するのはちと酷ではないかとも思います。

      何しろマトモな結婚候補は悉く邪魔されてきましたからね。特にエリザベス1世とカトリーヌ・ド・メディシスに。

      それだけ正統なる血統を脅威に感じてたのでしょう。

      実際亡命してたとは言え、王位継承権剥奪されたことなんて一回もありませんからね。

      血統書に瑕もないとなればそりゃあ脅威でしょうよ。


                ◇          ◇          ◇


      加えて本人が「我こそはイングランド王正統である」と何かにつけ吹聴してましたから、彼女に問題がなかったとは口が裂けても言えませんわ、ええ。

      まあ強硬主張がなくとも嫌がらせはしてたでしょうから歴史は大して変わらなかったかも知れませんが。

      結局「君の親戚筋がいけないのだよ」になるのがなんともはや、ですわね。
    • No:580 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part575 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/12/06 09:35:55 単表示 返信

      ともあれ。

      くっそややこしい政治情勢の間隙を突くメアリーのイングランド亡命は、主に下半身王の負の遺産の所為で容易に手出しならざる状況を利用したまさに起死回生の一手でした。

      一見自棄を起こしたとしか思えない暴挙でしたが・・・・・・

      結果的にこれはメアリーの寿命を伸ばしました。

      まぁぶっちゃけ其処まで計算してたかは非常に怪しいと個人的には思っていますが。

      誰もが虚を突かれ、誰もが手をこまねく状況に持ち込んだのは紛れもない事実です。

      こういうのを「持っている」と言うんですかね?


                ◇          ◇          ◇


      まあもっとも。

      真にメアリーが賢者にして謀略家であり、また自身と周囲の状況を正確に把握してればそれこそ天寿を全うできたのでは? とも思います。

      メアリーはエリザベスにとって地雷かつ(黙っていれば)不発弾です。

      下手に手を出そうものなら折角(タテマエ上は)穏当に継いだ玉座がまたキナ臭くなることは必定。

      エリザベス側から手を出せない以上、メアリーの身は(何もしなければ)安泰のはずだったのです。


                ◇          ◇          ◇


      しかし実際はと言いますと。

      メアリーは亡命後も「我こそは真のイングランド王なり」と公言して憚りませんでした。

      まぁローマ教皇やらスペイン王フェリペ2世やらの旧教勢力はメアリー支持を隠そうともしませんでしたから、自分の力と勘違いして気が大きくなっていた可能性はあります。

      ぶっちゃけアホの子としか思えませんからね、所行を見るに。

      少なくとも政治的才に長けていたとは到底思えません。

      ちょっとでも政治的センスがあったら再婚強行なんてする訳ありませんから。


                ◇          ◇          ◇


      しかもその上。

      タテマエの亡命軟禁なんて知らないわとばかりにイングランド中を旅しては度々クーデターに関与するなど、もうやりたい邦題やってました。

      エリザベスもよくもまあ20年近く放置してたものですわ。

      それだけ9日天下女王の二の舞は避けたかったのかも知れませんが・・・・・・

      流石にメアリーががっつり関わってた証拠が出てきたバビントン事件では、処断の決断をせざるを得なかったようです。
    • No:581 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part576 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/12/13 09:38:36 単表示 返信

      まあもっとも。

      最期のバビントン事件は半ばハメられたようなものですがね。

      何しろクーデター企む側に、スパイが二人も紛れ込んでいて。

      あまつさえ計画遂行を煽ってさえいたのですから。


                ◇          ◇          ◇


      当時エリザベス1世の側近に"サー"・フランシス・ウォルシンガムという男がいました。

      法律家で旧家の出である彼は、国王秘書長官ウィリアム・セシルに見出されて秘密警察を設立。

      彼が設立したMI5の前身は、都合20回以上にも渡って彼の主君を兇刃から守護り続けました。

      エリザベス朝を支えた大立て役者でありましたが、あんまり主君からは好かれてなかったようです。

      無論、個人の好き嫌いで無下に扱うほど狭量ではありませんでしたが・・・・・・

      個人的な援助をしたことは一度たりともなかったと言われています。


                ◇          ◇          ◇


      さて、そんな不遇なウォルシンガム長官でしたが職務怠慢だったことは全くありませんでした。

      その原動力はガチガチのプロテスタントでカトリック撲滅に血道を上げてたからとも言われていますが・・・・・・

      まあ実際旧教派からはフツーに悪魔呼ばわりされていました。

      浅黒い肌で服も真っ黒とあっては誰だってそう言うでしょう。

      実際旧教徒への当たりはガチで悪魔の如き所行だったようですし。


                ◇          ◇          ◇


      そしてメアリーを破滅に導いたバビントン事件こそ、彼ウォルシンガム秘密警察長官が描いた絵図でした。

      その青写真は、バビントン事件の前に起きた大規模な陰謀。

      リドルフィ事件なら描き始めたと言われています。
    • No:582 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part577 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/12/20 09:26:30 単表示 返信

      さて。

      リドルフィ事件を語る前に、重要な登場人物について触れておきましょう。

      第4代ノーフォーク公爵家当主・トマス・ハワードです。


                ◇          ◇          ◇


      ノーフォーク公という名に聞き覚えはないでしょうか?

      そう、下半身王最初の再婚相手であり。

      エリザベス1世の実母であるアン・ブーリンの母方の伯父こそがこの4代目ノーフォーク公だったのです。


                ◇          ◇          ◇


      アン・ブーリンと言えば。

      下半身暴走王誕生の一因とも言われ、正妃昇格後も相当やりたい放題で死後まで娘エリザベスに多大な迷惑をかけたことで知られる悪役令嬢の鏡みたいな存在ですが。

      当代(3代目)ノーフォーク公的には権力の源泉の一つではありました。

      もっとも王太子誕生が絶望的になってからは綺麗に手のひら返したようですが。

      まあ大して接触もなかったようでしたから残当と言えば残当ですわね。


                ◇          ◇          ◇


      次の王妃キャサリン・ハワードの方が血縁的には若干近く、ノーフォーク公は我が世の春を謳うかと思いきや・・・・・・

      ある意味アン・ブーリンより悪い状態に陥ります。

      姦通罪で告発されたのです。
    • No:583 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part578 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/12/27 09:24:09 単表示 返信

      まあぶっちゃけた話をしますと。

      このキャサリン・ハワード、ティーンエイジャーからアレしまくっていたとのことなので残当と言わざるを得ません。

      下半身王もいよいよ焼きが回って手当たり次第になったかって感じですわね。

      この頃になると不摂生でも祟ったのかブクブク中年太りしてきてたようですから、アタマの方にも贅肉がついてきたのでしょう。

      自業自得という奴です。


                ◇          ◇          ◇


      まー下半身王がガチクズなのは歴史的事実ですが、キャサリンの方もそれは酷いと言いますか醜い争いでした。

      王側近「新王妃は元恋人フランシス・デレハムと今も密通している! 不倫だ!」
      キャサリン「わたくしは無理矢理手込めにされたのです! 浮気ではありません!」
      デレハム「俺はもう別れたんだ! ヤってない! むしろトマス・カルペパーと今でも密通してるぞあの○ッチ!」
      キャサリン「何を根拠にそんな誹謗中傷を! 訴えますわよこの○小!」
      侍女「ごめんなさいぃぃぃ私キャサリン様とトマス様のお付き合いサポートしてましたぁぁぁ殺さないでくださぁあぃぃぃぃぃぃ」
      キャサリン「」
      下半身王「・・・お前ら全員死刑な(#^ω^)」

      ・・・・・・いやホントもうね。


                ◇          ◇          ◇


      とまあスキャンダルと言いますか醜聞と言いますか。

      身内から2回も似たような理由で処刑者出してしまったノーフォーク公はまさに崖っぷち、9回裏ツーアウトでした。

      と言いますか当時の当主3代目ノーフォーク公は既に王家名物ロンドン塔に幽閉済みで、処刑秒読み待ったなしでありました。

      しかしながら下半身王が死刑執行前におっ死んだので、九死に一生を得たのでした。


                ◇          ◇          ◇


      とは言うものの状況が好転した訳もなく、ノーフォーク家の命運は風前の灯と見られていましたが・・・・・・

      ここで逆転ミラクルの目が生まれます。

      エドワード6世崩御後の混乱に乗じて、後の「ブラッディ・メアリー」が自鴒に逃げ込んできたのです。
    • No:584 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part579 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2024/01/03 15:50:38 単表示 返信

      この事件は運命的ではありましたが必然でもありました。

      ガッチガチのカトリックであるメアリーの行き先なんて同じ旧教系しか有り得ませんでしたし、下半身王に疎遠にされていたとは言えノーフォーク家は仮にも公爵です。

      近辺でメアリーが逃げ込めるところと言えばここしかありませんでした。

      国家簒奪を企んだジョン・ダドリーにとっても恐らく自明であったと思われますが・・・・・・

      ただどうも、何処か甘く見ていたフシがあります。


                ◇          ◇          ◇


      メアリー脱走を知ったのがもはや手遅れのタイミングであったのは確かなようですが・・・・・・

      どうもこのノーサンバランド公、メアリーへの追撃よりジェーン・グレイ女王即位を優先させたようなのです。

      枢密院は懐柔済みでしたし、マトモな支持基盤を持たないメアリーなぞ恐れるに足りず等と慢心していたのでしょう。

      結果はご覧の有様ですが。


                ◇          ◇          ◇


      これは憶測ですが。

      自身が新教狂信者で周りも類は友を呼んでいたので、王位継承権の正統性なんぞどうとでもなると錯覚していたのではないでしょうか?

      新教勢力圏のイングランド南部すら離反したのにはかなり驚いていたらしいですし、エコーチャンバー症候群に陥って世間の情勢見誤ったのではないかと思います。

      まぁ当時インターネッツもTVもありませんでしたから、情報精度はお察しではありますが。

      それでも読み切らなきゃならない場面でした。


                ◇          ◇          ◇


      まあ結局ジョン・ダドリーは『持ってない』人間だった。

      そういうことなのでしょう。

      その意味ではノーフォーク一族は『ある意味』持っている一家だと言えるかもしれません。
  • No:565 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part560 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/08/23 09:24:11 単表示 返信

    ジェーン・グレイの系譜は以下のようになります。

    ヘンリー7世─メアリー・テューダー─フランセス・ブランドン─ジェーン・グレイ

    一応直系に当たるのですが王位継承順位は低くされていました。

    何故かと言いますと祖母と母が揃ってイロイロやらかしたからなのですが──────

    その辺は機会があったら追い追い。


              ◇          ◇          ◇


    閑話休題。

    ライル卿は工作の手始めとしてジェーン・グレイを自分の息子ギルフォード・ダドリーと結婚させました。

    ジェーンの母フランセスはこの政略をヤバイと感じていたようで、かなり反対したようですが──────

    悲しいかな基本的にこの時代の夫人というのは一部を除いて発言権が無きに等しかったのです。


              ◇          ◇          ◇


    そしていよいよエドワード6世の死期が明確に近づくと、ライル卿は瀕死の寝所に乗り込んでジェーンを次期国王に指名する遺言状を書かせました。

    ほとんど狂信の域にまで達していたエドワード6世は頑強な旧教信者であるメアリー1世を蛇蝎の如く嫌っていたので、この説得()はとても容易だったと言います。

    これで新教と自分達の未来は安泰だ──────

    そう思ってた時期が、彼らにもありました。


              ◇          ◇          ◇


    1553年7月6日、エドワード6世崩御。享年16歳。

    ライル卿は葬儀もそこそこにジェーン・グレイ即位宣言を行います。

    枢密院もこれを全面支持し、ノーサンバランド公の黄金時代がやってくる──────

    などと思う暇もなく、彼らにとっての凶報が飛び込んできます。

    メアリー1世の脱走、そして即位宣言です。
    • No:566 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part561 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/08/30 09:21:20 単表示 返信

      メアリー1世のこれまでの生は、不遇と波瀾に満々ていました。

      物心付く前から政略結婚と破談を繰り返し、9歳の頃にはクズ王から「お前の母と結婚したのは間違いだった」などとほざかれる始末。

      その上庶子に落とされ仕えてくれた使用人とも引き離され、挙句の果てに継母から娘のメイドになれと強要されたとあっては陰湿さに定評のある名作劇場も真っ青な境遇です。

      並の人間ならここで折られていたでしょう。

      しかし。

      後の「ブラッディ・メアリー」は並ではありませんでした。


                ◇          ◇          ◇


      一つの転機は悪辣な継母アン・ブーリンが処刑され、メアリーの宮廷復帰が成されたことです。

      処刑の理由はアンに飽きたクズ王が捨てるためにあらゆる罪でっち上げたという最低極まってるものでしたが・・・・・・

      陰湿ないじめから解放されたのは事実です。

      ──例えそれが、後に宗教観でバチバチにいがみ合うエドワード6世の母ジェーン・シーモアのたっての願いだったとしても。


                ◇          ◇          ◇


      歴史の皮肉はさておき。

      貴人としての地位を実質回復したメアリーは、自身の教訓から味方を作ることに腐心していたようです。

      とっかえひっかえするクズ王との関係は冷えたままでしたが、アン以外の王妃とは概ね上手くやっていたようです。

      実務にも有能であることを示し、政務では無駄に有能な下半身王からも宮廷の代理主人として認められていたようです。

      ──そして、彼女の地道な努力が実を結ぶ日がやってきたのです。


                ◇          ◇          ◇


      エドワード6世がいよいよ助からないと知れた瞬間、「ブラッディ・メアリー」は即座に行動を起こしました。

      ロンドンを手早く脱出し、ノーフォーク領に駆け込んでノリッジで自らも即位宣言を行います。

      彼女の下には有力者逹が続々帰参し、大きなうねりとなってロンドンに押し寄せるのです。
    • No:567 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part562 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/09/06 09:38:05 単表示 返信

      一方ライル卿 & ジェーン・グレイ陣営はと言いますと。

      さっぱり支持が集まりませんでした。

      それどころかライル卿の私兵の半数が寝返ったとも。

      これはもう文字通り歴史的ざまぁと言う他ありませんわね。

      どんだけ人望なかったの? と言いたくなりますが・・・・・・

      まあ大義がなかったと言うことにしておきましょう、うん。


                ◇          ◇          ◇


      勿論メアリー1世のそれまでのイメージ戦略が功を奏したのは確かです。

      ですが、ライル卿の失点と言いますかやらかしが大きなウェイトを占めたのも、また事実です。

      具体的に言うと

      1.先代ヘンリー8世が定めた王位継承順位を、私欲と保身で正当な理由なく無視したこと
      2.当時民集の宗派はまだまだカトリックが多く、言うほど宗教改革は進んでなかったこと
      3.農地改革で現政権に不満が溜まりまくっており、政権転覆の気運が潜在的に高まっていたこと

      etcetc

      まあぶっちゃけ負けて当然と言いますかほぼ自滅でしたわね。


                ◇          ◇          ◇


      とはいえ。

      敵失を的確に捉えて好機を生かしたメアリー1世も天晴でありました。

      特に1.と2.を最大限利用した手腕はお見事と言わざるを得ません。

      そりゃあ後世山程創作のモデルにもされようと言うものです。

      もっとも、好意的なものはかなり後にならないと出て来ませんでしたが。


                ◇          ◇          ◇


      それは何故かと言いますと・・・・・・

      まあ通称のブラッディ・メアリーからお察しというところです。

      もっとも何十年も鬱積した鬱憤が爆発しても止むを得ないとは思いますけどね。

      それくらい苦難の連続でしたから。

      彼女の人生は。
    • No:568 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part563 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/09/13 10:28:36 単表示 返信

      まあもっとも。

      鮮血女王と陰口叩かれるメアリー1世ですが、物の道理が分からない程ではありませんでした。

      ライル卿に担がれただけとわかり切っていたジェーン・グレイに対しては、最後まで温情をかけていたと言います。

      流石にと言いますかモロ主犯のライル卿にかける情けは持ち合わせていなかったようですが。

      まぁ残念でもなく当然ですわね。


                ◇          ◇          ◇


      それでも結局ジェーン・グレイは親のサフォーク公ヘンリー・グレイ共々断頭台の露と消えた訳ですが。

      これにはメアリー1世の婚約者であるフェリペ2世から「処刑しなければ婚約破棄だ!」等と悪役令嬢モノの冒頭みたいな要求を突きつけられたからとも。

      またその結婚そのものに反逆するワイアットの乱にヘンリー・グレイが参加してたからとも言われています。

      まー担がれただけとは言え旗印を放置なぞ有り得ませんでしたから。

      処刑を渋ったのは単なる私情でしかなかったと言えばそうなります。


                ◇          ◇          ◇


      とは言え。

      メアリー1世と言いますかこの王位交代劇の評判の大半が、この後にやってきたエリザベス1世時代に息を吹き返したプロテスタントの捏造でしたので。

      この辺の話も、もっと正当な処刑すべきでない理由があったかもしれません。

      しかしながら処刑しなくてはならない理由も証拠付きで山程ありますので・・・・・・

      結局のところ、歴史にifはないと言ったところでしょうか。


                ◇          ◇          ◇


      まあ何にせよ。

      ジェーン・グレイの在位期間はたったの9日でした。

      何処の戦国武将かと言いたくなりますが・・・・・・

      独断専行甚だしいとは言え、仮にも正規手続きで即位したジェーンと比べるのは失礼ですわね。

      もっとも。

      人は彼女を「クィーン・ジェーン」と呼ぶことは終ぞありませんでした。

      民衆ってホント残酷ですわね。
    • No:569 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part564 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/09/20 09:05:53 単表示 返信

      さて。

      三日天下ならぬ九日天下を下して唯一無二の女王となったメアリー1世ですが。

      最初にやったことは宗教改革の破棄でした。

      ライル卿の危惧した通りになった訳ですが・・・・・・

      以前少し触れましたが、そもそもプロテスタントは言うほど浸透してなかったので揺り戻しは容易に行われたと言います。

      まあ庶民にとってはプロテスタントの教義なんぞちょこっと礼拝のやり方が違うだーけーであったことは想像に難くありませんでしたので。

      お上がコロコロ変えんな鬱陶しいくらいは思っていたでしょう。

      ま、革命はいつもインテリが頭でっかちに始めると何処ぞのニュータイプも言っていましたからね。

      地に足がついてなかったのは確かなようです。


                ◇          ◇          ◇


      そもそもな話として。

      プロテスタントの起こりは『教皇らの贖宥状乱発の根拠を論破する』ものです。乱暴な言い方ですが。

      贖宥状はある程度裕福でないと買えませんでしたし、起源的にはやむを得ずお金で解決するものなので、そんなもんに金出すくらいなら巡礼しろが正しい姿です。

      庶民からして見れば『お上がよく分からんことで言い争ってる』くらいにしか思われてなかったでしょう。

      まあつまるところが。

      革新的シューキョーとやらに大して恐れ入ってなかった・・・・・・と言ったら言い過ぎでしょうか?

      ただまあ。

      発狂してるのはお貴族様ばかりで、農民等が大規模なプロテスタント迫害反対一揆を起こしたなんて話は聞かないのは事実であります。


                ◇          ◇          ◇


      とまあ、そこそこ順調な滑り出しであったメアリー政権ですが。

      1年も立たない内に前途に暗雲が垂れ込めます。

      スペイン王フェリペ2世との結婚です。


                ◇          ◇          ◇


      例によっての政略結婚でしたが・・・・・・

      意外と上手くいくことの多い政略結婚の中でも、これは歴史に残る大失敗でした。

      結婚当時は双方にメリットがあると当事者は思っていましたが・・・・・・

      現実は非情だったのです。
    • No:570 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part565 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/09/27 09:26:30 単表示 返信

      何故上手く行かなかったか?

      勿論諸説ありますが・・・・・・

      一番の理由はやはり「性格の不一致」ではないでしょうか。

      当時メアリー1世38歳、フェリペ2世27歳。

      おねショタ言うにはちと歳を食い過ぎていますわね。

      しかもこの時期、フェリペ2世の親でスペイン国王カール5世がそろそろくたびれてきて息子に王位譲ろうか、なんて話が出ていました。

      入婿にするにはちと都合が悪かったのです。


                ◇          ◇          ◇


      更に言いますとフェリペ2世は筋金入りの国粋主義者で、生涯スペイン語しか話さなかったと伝えられます。

      ますますもってイングランドに骨を埋める気なんぞミリもなかったのです。

      事実フェリペ2世は結婚後2年もしない内に即位を口実にスペインに帰国、1年半も経ってからようやく3ヶ月ばかり顔見せしただけですぐ帰国と露骨にも程がある態度を取ってきました。

      ちなみにこの二度目にして最後の来英の時期、メアリー1世は卵巣腫瘍を発症してたと見られ、健康を害していたことはすぐわかったと思うのですが・・・・・・

      流石音に聞こえた暴君、人の心がありませんわね。


                ◇          ◇          ◇


      不幸は個人間に止まらず、国家規模で牙を剥きました。

      王族同士が婚姻してるのですから、自動的にイングランドとスペインは同盟国です。

      この当時フランス王はアンリ2世で、スペインと何かにつけバチバチやり合っていました。

      その果てとして第六次イタリア戦争が起こり。

      イングランドも同盟国として巻き込まれていくのです。


                ◇          ◇          ◇


      まあ一応。

      援軍要請した時点ではスペインはフランスをサン=カンタンの戦いで撃破したばかりで優勢ではありました。

      まあそれで調子こいて逆撃を食らうのですが・・・・・・

      それが知ってる人には結構有名なカレー包囲戦です。
    • No:571 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part566 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/10/04 16:17:40 単表示 返信

      ここで言うカレーとはドーバー海峡北端に位置する要衝のことで、現在英仏海峡トンネルのフランス側出口が開いている場所です。

      ドーバー海峡で最も狭い場所として知られ、また当時フランスとブルゴーニュがここを挟んで睨み合っていた戦略地点でもあります。

      ちなみに綴りはCalaisでケルト部族Caletiに由来します。

      CurryRiceとは何の関係もありませんので悪しからず。


                ◇          ◇          ◇


      そのカレーですが200年くらい前からイングランド領土になっていました。

      エドワード3世がブイブイ言わせていた時代ですわね。

      しかし広大な領土も今は昔、ここカレーの地は今や大陸で唯一確保している領土と成り果てていました。

      何故縮小を続けるイングランド領地の中でここだけ維持できてかと言いますと・・・・・・

      ちょっとしたパワーゲームのバランスがあったのです。


                ◇          ◇          ◇


      先程触れましたが、カレーはフランスとブルゴーニュの国境近くにあり、ちょくちょく小競合いが発生していました。

      またカレーは要塞化して頑強になっており、どちらかの手に渡ると中々面倒なことになるのは明白でした。

      イングランドも時々ここから周辺にちょっかい出してはいたのですが、ここのところ内情不安定が続いており大規模な活動はしないだろうと見られていました。

      そんな訳で。

      カレー要塞は奇妙な平穏を保っていたのです。


                ◇          ◇          ◇


      その均衡が破れたのは、時のローマ教皇パウルス4世がフランス王アンリ2世を唆してイタリア戦争再燃させたことを端を発します。

      当然元から敵対しているスペインにも飛び火し、スペイン国王フェリペ2世はパリへの侵攻を決意します。

      フェリペ2世はサヴォイア公エマヌエーレ・フィリベルトと同盟してサン=カンタンの戦いで大勝利を収め、いよいよ長年の因縁に決着を付けるべく侵攻を開始します。

      ダメ押しとばかりにイングランドも参戦させ、磐石の体制で挑むハズだったのですが・・・・・・

      その計算を狂わせたのが、このカレー包囲戦だったのです。
    • No:572 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part567 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/10/11 09:05:39 単表示 返信

      カレー要塞は先述した通りイングランドのヨーロッパ大陸への橋頭堡でした。

      当然スペイン侵攻軍への援軍はここを拠点とする予定でした。

      つまり裏を返せば。

      ここを失陥させればイングランド軍は撤退するか、少なくとも大幅な軍事計画の見直しを強いることが出来たのです。


                ◇          ◇          ◇


      ということで。

      このところ負けが込んで権威が失墜しつつあったアンリ2世の乾坤一擲大逆転の秘策が、カレー攻略大作戦と言う訳です。

      3万もの大兵力を秘密裏に分散派遣し、当時の常識として奇想天外の真冬に奇襲をかける大胆な作戦を立案し、実行しました。

      そして1558年1月1日。

      電撃カレー包囲戦が発令したのです。


                ◇          ◇          ◇


      潜伏していたフランス軍は乾いた草原に付けられた火の如く怒濤の侵略を見せつけました。

      思いもしなかった大軍の奇襲に浮き足立ったのか、イングランドの誇るカレー要塞群は僅か3日で陥落しました。

      1週間もしない内に各カレー砦には3色の国旗が翻り・・・・・・

      地方名も「Pays reconquis」、つまり「再征服国」と改名されてしまったのです。


                ◇          ◇          ◇


      ・・・・・・いやまあ何と言いますか。

      ちょくちょく出てきますけど、ことあるごとに大人気ないマウント取りするのは民族性か何かなんですかね?

      仮にも高貴な血筋なんですから・・・もうちょい知性とか品格を持ってほしいところですわね。

      まぁ当時の実態を示す資料と言われればそれまでですけど。

      これもまた歴史の闇と言ったところでしょうか。
    • No:573 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part568 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/10/18 09:05:25 単表示 返信

      さて。

      思いの外あっさりカレーが陥落して戦力と功を逸る諸公を持て余したフランス軍は、余勢をかってネーデルラントまで侵攻しました。

      ここを越えればスペインを望むところまで到達できます。

      所謂反転攻勢ですわね。


                ◇          ◇          ◇


      これに驚いたフェリペ2世は、急いで迎撃態勢を整えさせます。

      すわネーデルラント決戦か? と思われた矢先。

      第6次イタリア戦争は、双方思いもかけない形で決着することになるのです。


                ◇          ◇          ◇


      「カネがないぞ。これからどうするか決めてくれ」

      ベレー帽軍服が似合う何処ぞのイケボ恐妻家が言ったかどうかは定かではありませんが。

      身もふたもないことを言うと、フランススペイン両軍ともに軍資金が尽きて破産しました。

      無計画にも程があるって? 正直わたくしもそう思いますわ。

      ですがまあ、当時のどんぶり予算ぶりを考えれば残当ではないでしょうか。

      そんなこんなで6回目のイタリア戦争は終結し、講和が結ばれたのです。


                ◇          ◇          ◇


      このカトー・カンブレジ条約はフランスとスペインの間で結ばれ、イングランドは蚊帳の外でした。

      フランスとスペインは新たに領土を獲得しましたが、イングランドはただカレーを失陥しただけーで何の成果も得られませんでした。

      メアリー1世にとってはまさに踏んだり蹴ったり。

      フェリペ2世と結婚さえしなければこんなことには・・・! と周囲が失望通り越して絶望したのも宜なるかな、ですわ。
    • No:574 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part569 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/10/25 09:41:54 単表示 返信

      そもそもの話として。

      イングランドがスペインに加勢して何の旨味があるかと言えばぶっちゃけありませんでした。

      確かに宿敵フランスとは何かにつけやり合ってましたが・・・・・・

      はっきり言えば国内問題が山積みで本来それどころではなかったのです。


                ◇          ◇          ◇


      その上。

      実を言いますと・・・メアリー1世がフェリペ2世と結婚するにあたり、議会は幾つもの注文をつけてフェリペ2世に約束させていました。

      概ねはイングランドに内政干渉させないという条件でしたが・・・・・・

      その中に「スペインとフランスの戦争にイングランドは関与しない」という条項もあったのです。


                ◇          ◇          ◇


      なので第6次イタリア戦争出兵自体が重大な横紙破りです。

      議会の大反対をガン無視して強行した結果がご覧の有様では、そりゃ擁護する人も居なくなろうと言うものです。

      メアリー1世の周りからは誰もが去って。

      離れた人々は次期女王候補筆頭たるエリザベス1世の元に集っていったのです。


                ◇          ◇          ◇

      自らの凋落に為す術のないメアリー女王は、憎悪と絶望の日々を過ごす内に本格的に健康を害していきました。

      結婚当時から罹患していたとされる卵巣腫瘍がいよいよ悪化し、妊娠と見紛う程の水脹れも発症しました。

      ・・・実際は妊娠としたかったのかも知れません。

      何故なら。

      メアリー1世に子が居なければ、自分の死後は憎き従姉妹が玉座を簒奪(メアリー視線)するのを防ぐ術がなかったからです。

  • No:555 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part550 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/06/14 09:26:53 単表示 返信

    まあもっとも。

    変態ロリコン愚弟の事件がトドメになったことは事実ではありますが・・・・・・

    このサマセット公エドワード・シーモア、ぶっちゃけ摂政就任からこんちずっとやらかしまくっていました。

    スコットランド侵攻からしてケチが憑きまくってましたが・・・・・・

    その後始末がまた、良くなかったのです。


              ◇          ◇          ◇


    そもそも論として。

    エドワード6世と婚約させようとした赤子メアリーの母メアリー・オブ・ギーズはその名の通りフランスを幾度も牛耳ったギーズ家の一族です。

    彼女自身は大変公正であったと伝えられていますが・・・・・・ぶっちゃけ当時スコットランド王ジェームズ5世は大分アレだった上のスコットランド宮廷は腐臭が漂っていました。

    まあ要するに。

    彼女がスコットランドにいるのはただの義務のようなもので、愛着なんて大してなかったのです。


              ◇          ◇          ◇


    元から足元不安の上、外敵(イングランド)が愛する娘を略奪しに来るとなれば、そりゃあ故郷に避難させるというものです。

    自身は責任感から残ったのですが・・・・・・

    ぶっちゃけ誰も幸せになりませんでしたわね。


              ◇          ◇          ◇


    何が悪かったかと言えば。

    狂信的差別主義者に理と言葉が通じると考えたことでしょうか。

    あいつらマジで人の話聞きゃしませんからね。

    ギーズ家の弟達はその辺よく判っていて何度も姉に進言したらしいのですが・・・・・・

    終ぞ聞き入れられることはなかった、と伝えられています。
    • No:556 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part551 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/06/21 09:27:46 単表示 返信

      ともあれ。

      エドワード・シーモアの対スコットランド強攻策は大失敗に終わり、辛うじてフランス軍を押し返すことには成功したものの無用な軍事行動は国庫を圧迫し、直轄領の売却やら貨幣改鋳やらの窮余の金策を余儀なくされました。

      特に貨幣改鋳は地味にヘンリー8世時代から続いており、シーモア時代も合わせて大悪改鋳と呼ばれます。

      これは隠れた爆弾として、エリザベス1世の胃と頭を痛めることになるのです。


                ◇          ◇          ◇


      そもそも何故改鋳が問題になるかと言いますと。

      当時の通貨は「通貨そのものに含まれる貴金属量」によって価値が決まっていました。

      乱暴な言い方をすると「この通貨は幾らで売れるか?」=「金銀グラムあたり何セントか」x「その通貨の含有量」ということです。

      そしていちいち重量計っていたら商取引滞ること夥しいので、国が「この通貨は金銀がンg含まれている」と『保証』することで計算を簡易にしているのです。

      この手の通貨自体が価値を持っているものを完全通貨と呼びますが・・・・・・

      実体としては額面価値と実際の貴金属価値が一致していることはありませんでした。


                ◇          ◇          ◇


      何故かと言いますと。

      先程も述べましたが通貨の価値は含有貴金属量で決まります。

      貴金属塊そのものを使わないのは、いちいち計量が面倒だからで・・・・・・

      まぁぶっちゃけた話。

      バレない程度に通貨削って貴金属ちょろまかす輩が続出したのです。


                ◇          ◇          ◇


      タテマエ上は「この通貨にはnグラムの金銀が含まれてるからmセント」となっている訳ですから、バレなければmセントとして扱われます。

      そしてちまちま削った分は後で纏めて売っ払って丸儲けと言う訳です。

      これがあんまりにも横行した所為で現代の硬貨の金属的価値は全て額面の数分の一以下になっています。

      まあアタリマエですわね。

      しかしそれは金本位制が崩壊した後になりますから、この時点では遙か未来の話となります。
    • No:557 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part552 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/06/28 09:28:21 単表示 返信

      まあ要するに。

      悪改鋳は国家にとっては文字通りの打ち出の小槌な訳ですが・・・・・・

      市場にとってはただただインフレを起こす要因でしかありません。

      インフレが起これば当然国民は困窮する訳でして。

      結果として各地で反乱が頻発することになります。


                ◇          ◇          ◇


      ただまあ百害あって一利なしかと言えばそうとも言い切れない部分もありました。

      当時のイングランドは羊毛産業が著しく発展してきており、それを使った毛織物が輸出の主力として国庫を潤し始めていました。

      国内通貨が悪改鋳により価値下落してポンド安になると、外貨が相対高となって輸出業を後押ししたのです。

      しかしこの現象も劇烈な副作用を熾しました。

      領主・地主らの強制的農地転用。

      後に言う第一次エンクロージャー(囲い込み)がそれです。


                ◇          ◇          ◇


      当時のイングランド農地は三圃制と言って、春耕地・秋耕地・休耕地でローテーションする輪作制を取っていました。

      ここで問題になるのが休耕地で、1年だけ牧草地として土地を富ませる用途に使っていたのですが・・・・・・

      羊毛が儲かると欲の皮突っ張らかった地主により、「この土地は羊牧場専用! 農民は出てけ!」と横暴かましたのです。


                ◇          ◇          ◇


      解雇された元農民は流民と化し、多くの農村が廃虚になりました。

      アタリマエですが治安と生産は大いに悪化し、各地は反乱の火薬庫と化しました。

      一応ヘンリー8世もエドワード・シーモアも問題視はしていて何度もエンクロージャー禁止を言い渡してはいたのですが・・・・・・

      欲に目がくらんだ愚か者共は聞く耳持たなかったのです。

    • No:558 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part553 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/07/05 09:29:56 単表示 返信

      エドワード・シーモア的には欲ボケ地主なんぞよりも国民(農民)の困窮の方が大問題と見なしてたようで。

      一揆が起きても「勝手に締め出した貴様ら(地主)が悪い」という態度で、鎮圧軍を差し向けようとはしませんでした。

      当然地主(=貴族)は不満が溜まる訳でして・・・・・・

      遂には勝手に出撃して反乱の首斬りに出ます。

      とりわけ激烈な処理をしたのが枢密顧問官ウォリック伯ジョン・ダドリーという男です。


                ◇          ◇          ◇


      初代ノーサンバランド公ともライル子爵とも呼ばれる彼は、ヘンリー8世時代に台頭した新教派です。

      ヘンリー8世4番目の王妃アン・オブ・クレーヴスの主馬頭を勤めたこともあります。

      主馬頭(Master of Horse)とは御馬番と呼ばれる厩舎で働く者達の長で、馬や猟犬等の管理者です。

      「なんだペットの世話役かよ」と思った其処の貴方?

      それは些か見識に欠けるというものですわ。


                ◇          ◇          ◇


      そもそもこの時代の家畜は「一財産」です。

      今でも牛馬一頭でも買えば7桁から9桁のお金が吹っ飛びますが・・・・・・

      この時代の貴族の馬は、冗談で無しに兵士より価値があったのです。


                ◇          ◇          ◇


      馬という生物はとにもかくにもとんでもなくコストが掛かります。

      当時の種類は今程大型ではなかったらしいですが、中間種であっても一日あたりおよそ10kgの飼葉を必要とします。

      更に水も25リットルを必要とし、行軍の際は荷車の大半が馬の餌で埋まります。

      冗談に聞こえるかも知れませんが、これは歴史的資料が幾らでも残ってますので各自確認なさるとよろしいでしょう。
    • No:559 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part554 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/07/12 09:39:00 単表示 返信

      そういう訳ですので、主馬頭とは行軍する必要が出た場合なくてはならないポジションなのです。

      輜重計画には必ず噛みますからね。

      仕事が地味なので創作ではあまり出てこない職ですが・・・・・・

      実は腹心が勤めるものなのです。


                ◇          ◇          ◇


      その主馬頭、しかも王妃のを勤めたとなれば、宮廷での発言力は決して無視できないものとなります。

      それから程なくして枢密顧問官にも就任し、ライル子爵は着実に地盤を固めていきます。

      下半身王も寄る年波には勝てず死が見えてきた頃、子爵は囁かれるようになったとなる噂を耳にします。

      「王太子エドワード6世の成人まで王は持たないようだ。王は枢密院に政治を任せるおつもりである」と。


                ◇          ◇          ◇


      いよいよ我が栄光の頂点がやってくるか、とほくそ笑んでいたライル卿の皮算用はエドワード・シーモアの強攻策によって打ち砕かれました。

      そういう怨恨によって、ライル卿はエドワード・シーモアの足を引っ張る隙を虎視眈々と狙っていたのです。

      つまりエンクロージャー一揆に甘い顔をして地主貴族をないがしろにしている今は絶好の狩り場という訳です。


                ◇          ◇          ◇


      元々宮廷貴族の出で領地(&農民)に大して思い入れもなかったライル卿は、無慈悲にさくっと一揆の首謀者を処刑しました。

      民の困窮など知ったこっちゃないと言わんばかりですが、事実上流階級は羊毛でウハウハできればそれで良かったのでライル卿だけが特段クズでもありませんでした。

      まあクズはクズですけど。

      もっともこの時点では一揆も散発的なもので、黄色いスカーフ巻いて際限なく肥大化するようなこともなかったので舐められても止む無しだったかも知れません。

      まあそうなったらなったで国力衰退一直線ですから、いいとも悪いとも言えませんわね。
    • No:560 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part555 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/07/19 09:28:12 単表示 返信

      さて。

      王位継承時、エドワード・シーモアに漁夫の利掻っさらわれたと恨み辛み欲ボケ拗らせていたのは何もライル卿だけではありません。

      他の枢密顧問官も大概でした。

      なので一揆に対して甘い顔してたエドワード・シーモアの責任を徹底的に追求し、遂には枢密院で査問にかけることまで漕ぎ着けます。


                ◇          ◇          ◇


      サマセット公まで上り詰めたエドワード・シーモアとて座して死を待っていた訳ではありません。

      布告を出し、国民(農民)に寄り添う自分こそがイングランドの舵取りを担うに相応しいと訟えかけます。

      しかし。

      国民からの反応は微妙であったと伝えられています。


                ◇          ◇          ◇


      まあぶっちゃけた話。

      外交ではスコットランド女王メアリーとエドワード6世の見合いを無理押ししてフランスの介入を招き。

      戦費だけかかって何の成果も得られませんでしたァ!した挙句の果てに悪改鋳でインフレを招き。

      内政ではエンクロージャーによる小作農締め出しに紙ペラ一枚の布告状出すだーけーの口先野郎と来ては何故支持が集まると思ったと言われても致し方ないのではありませんかね。

      政治は結果が全て。

      国民からしてみれば寝言ほざいてる暇あったらとっとと救済実行しろでしょうよ。


                ◇          ◇          ◇


      広報工作が失敗したと悟ったサマセット公は次に貿易商出身の叩き上げ武官ジョン・ラッセル男爵に協力を求めました。

      彼は枢密顧問官でもあり、男爵ではありますが幾つもの荘園を保有する有力貴族でした。

      枢密院も彼の意向は無視できないだろう──────

      エドワード・シーモアの目論見は決して荒唐無稽ではなかったのですが。

      彼の思惑は実を結ぶことはなかったのです。
    • No:561 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part556 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/07/26 09:48:48 単表示 返信

      この時ラッセル男爵は折り悪く西部で発生した旧教の叛乱鎮圧に出向いていました。

      ・・・今『折り悪く』と言いましたが。

      実を言うとこの叛乱、ほぼエドワード・シーモアの自業自得であったのです。


                ◇          ◇          ◇


      サマセット公が新教での覇権を狙っていたのは軽く触れましたが・・・・・・

      特にこの時期は法整備が本格化してイングランドをプロテスタントの国にしよう! という野望を隠さなくなってきていました。

      この1549年には礼拝統一法を制定し、これに沿わない教会は軒並み摘発されていきます。

      政治屋の仕事らしく旧教様式でも合法ぽく書いてはありましたが・・・・・・

      見る者が見れば意図は明明白白だったのです。


                ◇          ◇          ◇


      そんな訳で。

      西部で発生した叛乱は大規模なもので、中央からの戦力派遣は必須でした。

      だからこそ実績十分のラッセル男爵に白羽の矢が立った訳です。

      ちなみにこの叛乱はエンクロージャー一揆の1ヶ月前です。

      更に言うとロリコン弟トマス・シーモアがやらかしたのが同年3月なので一揆の4ヶ月前。

      実に逆風の年だったと言えましょう。

      ・・・・・・そう言えば海外にも厄年とかあるんですかね?

      どうでもいいと言えばどうでもいいですが。


                ◇          ◇          ◇


      と言いますか。

      エドワード・シーモアがこんな簡単に追い詰められたのはぶっちゃけ典型的外戚政治で味方がいなかったのが原因です。

      前王の遺言無視して簒奪同然に摂政就任したのも後に自分の首を絞めました。

      まあ下半身王が色々やらかした所為で内政に火種を抱えていたのは事実っぽいですが・・・・・・

      妹である王妃ジェーン・シーモアのエピソード見るに元から野心家だったようですから、同情の余地はありませんわね。

      自ら火中の栗を拾いに行ったのですから。
    • No:562 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part557 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/08/02 09:22:28 単表示 返信

      とまあそういった訳で。

      万策尽きた初代サマセット公エドワード・シーモアは1549年10月12日に失脚し、毎度お馴染ロンドン塔に幽閉されました。

      1547年に下半身王がお亡くなりになってから僅か2年半強の天下でした。

      客観的に見て恥と言うか悔いの多い人生だったように思われますが、まあ『持ってない』人だったのもまた明らかでしたので残当と言う他ありませんわね。

      無駄に野心を抱かなければそこそこの人生送れてたぽいですが、自分の意志で選んだ道ですから仕方ありません。

      諸行無常ですわ。


                ◇          ◇          ◇


      さて。

      見事怨敵サマセット公を蹴落してノーサンバランド公爵と成り上がったライル卿ことジョン・ダドリーですが。

      どこぞの国のように前任者全否定から入るかと思いきやそうでもありませんでした。

      特に宗教施策は引き続きプロテスタント化を推進し、より露骨に新教化した共通祈祷書の設置を義務付けたり、42信仰箇条を制定し法整備を強化したりしました。

      当人は結構どっちつかずであったと言われていますが・・・・・・

      一応国王エドワード6世が前任者のせんのゲフンゲフン教導によりガチガチのプロテスタントになっていたので忖度したぽいです。

      旧教関係者にとっては実にいい迷惑であったでしょう。


                ◇          ◇          ◇


      一方外交においてはスコットランドと講和。

      新たな領土を求めて大航海時代を幕開けたりとそれなりに有能でした。

      内政でも一応会計監査制度を導入したりとそこそこ成果を上げています。

      これら成果を見ていると無能ではなかったと思われますが・・・・・・

      就任2年後に決定的なやらかしをするのです。


                ◇          ◇          ◇


      やらかし、と言っても別に致命的な失政をしたとかではありません。

      傀儡であった国王エドワード6世が病に倒れたのです。

      ここでも本人的には政権乗っ取りを臨んだ訳ではなかったようですが・・・・・・

      結果的にと言いますか状況的にそうせざるを得ない事態に追い込まれてゆくのです。
    • No:563 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part558 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/08/09 07:02:46 単表示 返信

      9歳で即位したエドワード6世は例によって病弱でした。

      当時の青い血族の流行・・・・・・と言ったら不謹慎ですかね?

      ただまあ衛生事情も栄養事情も劣悪な時代でしたから。

      早死には身分の貴賤を問わなかったのは想像に難くありません。

      しかして。

      そんな有り触れた『死』であっても。

      やはり国の頂点に立つ存在である以上、混乱と蠢動は避け得ないものであったのです。


                ◇          ◇          ◇


      さて。

      諸々の負債と地雷をバラ撒くにいいだけバラ撒いてくたばった下半身王ですが。

      腹立たしいことに政治的感覚だけは秀でていたので、息子の天下が長く続かないであろうことを察知していました。

      なので彼はエドワード6世の更に次の王まで指名していたのです。

      その名はメアリー1世。

      最初の王妃キャサリン・オブ・アラゴンとの間に生まれた一粒種です。


                ◇          ◇          ◇


      まあぶっちゃけ。

      別にサリカ法に縛られている訳でもないイングランドではメアリーの方がフッツーに継承順位高かった訳ですが。

      王は男子でなきゃヤダいと駄々こねた下半身王が余計な混乱招いただけともいいますが。

      奴にも多少の後ろめたさはあったのかも知れません。

      もっとも。

      メアリー以外の候補と言えば次に生まれたエリザベス1世だけでしたので。

      選択肢はあってないようなものでした。


                ◇          ◇          ◇


      という訳で。

      悪性感冒にかかってベッドから起き上がれないエドワード1世を、ノーサンバランド公ジョン・ダドリーはあっさり見限る決断を下したのですが・・・・・・

      遺言に従えば、次の主はメアリー1世に自動的に決まりです。

      しかし。

      彼ライル卿には、それを認める訳には行かない事情があったのです。

    • No:564 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part559 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/08/16 09:08:34 単表示 返信

      前にも述べましたがライル卿の宗教政策は新教推進です。

      忌憚なく言えば新教強制です。

      これはエドワード6世がプロテスタントに洗脳ゲフンゲフン傾倒しまくってたからですが・・・・・・

      次期王たるメアリー1世は、頑強なまでにカトリックだったのです。


                ◇          ◇          ◇


      そもそもメアリー1世の母たるキャサリン・オブ・アラゴンからして「カトリック両王」と呼ばれたアラゴン王フェルナンド2世とカスティーリャ女王イザベル1世の子です。

      文字通り年季が違います。

      周囲が何を言おうが改宗などするはずがありませんでした。

      まあつまるところが。

      メアリー1世が即位なんぞした日には、積み上げてきた新教改革が全部ご破算になるのは火を見るよりも明らかだったのです。


                ◇          ◇          ◇


      更にそれだけで済めば御の字もいいところで・・・・・・

      メアリー1世はこの期に及んでも「プリンセス」と呼ばれていませんでした

      これは王位継承権こそ復活したものの、周囲からは王女と認められてなかったことを意味します。

      そんな見下され人生を送ってきた王族が権力を握ったらどうするか?

      そんなもん決まってます。

      粛清と復讐です。


                ◇          ◇          ◇


      とまあ、そんな訳で。

      見えてる時限爆弾を回避すべく、ライル卿は強引な手に出ます。

      ヘンリー7世の曾孫であるジェーン・グレイの擁立です。
  • No:545 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part540 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/04/05 09:33:10 単表示 返信

    そもそもナニが問題だったかと言いますと。

    聖書に兄弟と再婚禁止と書かれているからです。

    お前は何を言ってるんだと思いましたわね?

    わたくしもそう思いますわ。

    正確には「関係を持った兄弟との再婚禁止」なのですが同じですわ。

    しかし。

    この些細な違いに付け込む輩がいたのです。

    それが仮にも国王なのですからこの時代マジ終わってますわ。


              ◇          ◇          ◇


    更に最悪なことに、事実確認(意味深)に当事者が一切含まれていなかった挙げ句に政治暗闘の結果『なかった』ことにされたことです。

    もうね、言葉もありませんわ。

    なお「あった」と主張した側は強制国外退去されました。

    もうね(ry

    権力者が言えば黒でも白になるの額縁入り見本ですわ。


              ◇          ◇          ◇


    ちなみに。

    キャサリンはこの後今度は結婚自体を『なかった』ことにされます。

    アーサーとの結婚ではありません。

    強引に結婚させられたヘンリー8世との結婚が、です。

    わたくしならここまでコケにされて黙っていられませんし、キャサリン自身も離婚()を生涯認めなかったと言います。

    そしてこの傍若無人のクズ王共がもたらした混乱は。

    永くイングランド及び欧州全体に祟り続けることになります。


              ◇          ◇          ◇


    そしてその「第一の爆弾」こそが死産を繰り返したキャサリンの唯一の娘「ブラッディ」メアリー1世です。

    何故なら国王との結婚が「なかったこと」になれば、当然継承権も消滅するからです。

    スコットランド女王のメアリー・スチュアートとは遠い親戚に当たりますが・・・・・・

    揃ってエリザベス1世と王位争いするとは歴史の皮肉と闇を感じますわね。
    • No:546 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part541 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/04/12 09:27:55 単表示 返信

      さて。

      ヘンリー8世は事下半身事情に置きましてはクズofクズでありましたが・・・・・・政治的には無能の人ではありませんでした。

      イングランドはサリカ法の支配下ではありませんし事実メアリー1世やエリザベス1世のように女王を何人も輩出してはいます。

      しかし慣例といいますか当時のふいんき的に、血縁の近さが似たようなものなら男子が優先されるべき論が燻ぶり続けていました。

      更に現テューダー朝は父ヘンリー7世が開いたばかりで歴史も何もありません。

      そんな訳で、付け入る隙は潰しておきたい思考はまあ、理解できます。


                ◇          ◇          ◇


      しかしヘンリー8世の下半身クズの本領はここから発揮されます。

      キャサリンを生む機能喪失と見倣して王妃の立場を剥奪。

      宮廷から追放し、あまつさえキャサリンの侍女だったアン・ブーリンを後釜に据えて再婚したのです。


                ◇          ◇          ◇


      ・・・・・・いやもうね。

      悪役令嬢ものの冒頭ですかと。

      もっともこの後の展開を考えますとラノベの方が遥かにマシですが。

      何しろ破滅するのは強欲に正后を求めたアンだけで、ヘンリー8世はこの後も何人も妃取っ替え引っ替えして贅沢に55歳までのうのうと生きやがりましたし、キャサリンに至っては死後メアリー1世が名誉回復するまで不遇のままの生涯でした。

      こんなもん刊行したら大炎上待ったなしですわ。

      まっこと、現実はクソゲーですわね。


                ◇          ◇          ◇


      更に、です。

      アンとヘンリー8世は無責任にも最大級の「第二の爆弾」を残して逝きやがりました。

      ヘンリー8世と正后になったアンとの間に生まれた後継者。

      イングランドの黄金期を築き、過酷な運命と取っ組み合いの大喧嘩をした女、クイーン・エリザベスI。

      中世欧州の風雲児にして最大の爆弾が、生まれ落ちたのです。
    • No:547 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part542 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/04/19 09:55:22 単表示 返信

      エリザベス1世についてはこれまでもちょくちょく・・・・・・と言いますかしょっちゅうレベルで出てきてますが。

      フランスのみならずオランダとあーだこーだしたりスペインとバチバチやり合ったりと、それはもう無駄に精力的に働いていました。

      まあ、当時のイングランドなんて吹けば飛ぶよな弱小島国ですからね。

      座してたら死を待つのみだったのは事実です。


                ◇          ◇          ◇


      ただまあ。

      成り行きと言いますか腐れ親父の負の遺産と言いますかでユグノーの守護者的ポジになってしまったのは・・・・・・誰にとっても不幸でした。

      何故ならば。

      彼女が国教として据えたイングランド国教会は・・・・・・

      元を正せばクズ親父が離婚を正当化するために設立したものだからです。


                ◇          ◇          ◇


      はい其処の貴方。

      気は確かかと思いましたわね?

      わたくしもそー思いますわええ。

      マジでマジで。

      しかし悲しいかな、これがっつり歴史的事実なのですわ。


                ◇          ◇          ◇


      そもそも論としまして。

      ヘンリー8世とキャサリンの結婚には最初から瑕疵がありました。

      持参金返したくないなるクズ男の理由で教会に特例認めさせるごり押ししたのは他ならぬヘンリー8世の方です。

      それを都合が悪くなったからと「やっぱり厳正にしよううん」などとほざいて結婚なんて成立してなかったと掌返すのはもう人として恥の概念ないのかと言わざるを得ません。

      ほんっっっっっっっっっっっっっっっっとうっに、女の敵以外の何者でもありませんわええ。
    • No:548 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part543 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/04/26 09:34:39 単表示 返信

      そして当然と言いますかアタリマエと言いますか。

      自己中掌返しに教会側は大激怒。

      意地でも結婚の無効は認めないと態度を硬化させます。

      そうして押し問答している間に事態は新たな局面を迎えます。

      神聖ローマ皇帝兼スペイン王カール5世がローマに侵攻・征服し、時の教皇クレメンス7世を監禁する大事件が起こったのです。


                ◇          ◇          ◇


      当時のイタリア/ローマはフランスとハプスブルグ家の戦争の渦中にあり、またルターがプロテスタントをぶち上げたりで不安定な情勢にありました。

      そんな中。

      クレメンス7世は当時のフランス国王フランソワ1世と手を組んでカール5世と対立姿勢を見せ始めます。

      これに対しカール5世は直ちに報復を決定。

      ローマに血と火の雨を降らせます。

      後の世に言う「ローマ劫掠」です。


                ◇          ◇          ◇


      一説によるとカール5世の意図はクレメンス7世の監禁までであり、市街での狼藉三昧は命じたものではなかったとも言われています。

      しかしその場合でも元を辿れば、スペインの軍事費枯渇で兵にマトモに禄を与えてなかったのが原因と言われていますので、カール5世の責任問題ではあります。

      何れにせよ。

      この暴虐によって教皇庁の神聖不可侵性は見事にぶち殺され、権威は致命的ダメージを受けます。

      ついでに文化人も多数ぶち殺されましたので、ルネッサンスも強制終了となりました。

      いやあ流石は海賊国家ですわ。

      フッツーに蛮族ですわね。


                ◇          ◇          ◇


      ちなみに。

      離婚問題で揉めまくってるキャサリンはカール5世の叔母に当たります。

      後はまあ、お察しという奴ですわね。
    • No:549 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part544 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/05/03 12:17:31 単表示 返信


      それでもクレメンス7世は諦めが悪かったのか、離婚調停裁判を開廷します。

      ここで見事離婚問題解決できれば失地回復の目もあったのでしょうが・・・・・・

      何が何でも離婚したいヘンリー8世とどうあっても王妃の立場維持したいキャサリンとで折り合いがつくはずもなく。

      裁判は無為に踊るだけだったのです。


                ◇          ◇          ◇


      まあ現実は非情と言いますか。

      結局どうあがいても事態の解決が見込めないと悟った教皇は、裁判を休廷して問題をローマ教皇庁に丸ごとぶん投げます。

      だったら最初から手を出すなという話ですが・・・・・・ローマ劫掠の大失態を挽回しようと焦りもあったんでしょう。

      結果的には大失敗だった訳ですが。

      もっとも離婚を認めたら認めたでスペインから睨まれるのは確定してますし、最悪ローマ劫掠アゲインにもなりかねませんでした。

      有り体に言って詰んでますわね。


                ◇          ◇          ◇


      そんなこんなで。

      教会側に離婚を認める気が絶無と悟ったヘンリー8世は、最終手段に打って出ます。

      「自分たちに都合のいい教会設立しちゃえばいいじゃない」と。

      かくしてイングランド国教会は設立され、国内の宗教関係者は国教会に所属するか国外追放かの二択を迫られました。

      結局イングランド聖職者会は国教会に鞍替えを選択しましたが・・・・・・

      裏で血で血を洗う暗闘が展開されてたのは公然の秘密だったのです。


                ◇          ◇          ◇


      まあもっとも。

      いくら国王が政治的には有能であっても、私的色ボケだけでここまで大規模な制度改革が出来た訳ゃありません。

      其処には当然、イングランドの長きに渡る政治宗教対立があったのです。
    • No:550 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part545 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/05/10 09:32:04 単表示 返信

      ざっくり言いますと聖職者に対する財産権及び裁判権は教皇が管理していて、国からは口出しできない状態でした。

      治外法権もいいところですわね。

      そんなだから腐敗が進んで宗教改革戦争が勃発する訳ですがそれはともかく。

      宮廷や議会からの評判が最悪なのは当然のことと言えます。

      国王の色ボケに眉を顰めていても、乗るしかないこのビッグウェーブにてなもんです。

      坊主も生臭ければ役人議員も生臭とは地獄ですが、まあ現実なんてこんなもんですわね。


                ◇          ◇          ◇


      またヘンリー8世が無駄に下半身パワーを発揮して文献を漁りまくり、霊的首位権は教皇の専売特許ではないとの論陣を張りました。

      これは聖職者の権力からの排除に一定の効力を示したとされ、後の王権神授説にも影響を与えたと言われています。

      基督教において重要なマイルストーンでありましたが・・・・・・

      ほぼ教義に関係ないシモ事情が原動力と考えると、なんとも微妙な気持ちになりますわええ。


                ◇          ◇          ◇


      その後。

      ヘンリー8世は宗教改革議会を発足させ、次から次へと聖職者の特権を奪う法律を制定します。

      聖職者兼業の禁止、教会裁判権の剥奪etcetc...

      中でも決定的だったのが1533年に制定された上告禁止法です。


                ◇          ◇          ◇


      これは裁判はイングランド国内で完結するものとし、国外(要するにローマ教皇)の裁判権を認めないというものでした。

      つまり教皇は離婚問題について影響力を持てなくなると言うことであり、キャサリンが教皇に助けを求めることも出来なくされたのです。

      当然の如く時の教皇クレメンス7世はヘンリー8世を破門しましたが・・・・・・

      ヘンリー8世にとってはむしろ望むところだったのです。
    • No:551 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part546 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/05/17 09:39:55 単表示 返信

      恐らくですが。

      ヘンリー8世はローマ教皇庁を舐め腐っていたんだと思います。

      事実、当時の教皇庁はローマ劫掠で機能不全に陥っており、ネ申の威光を代理するとは口が裂けても言えない状況でした。

      実際に破門されたのは劫掠から10年も経ってからですが、その頃には上告禁止法どころか国王至上法まで制定運用されており。

      自前の宗教基盤(イングランド国教会)を確立させたヘンリー8世にとっては痛くも痒くもなかったのです。


                ◇          ◇          ◇


      とまあ生い立ちからしてローマ教皇庁と敵対するイングランド国教会ですが。

      後世で言うほどプロテスタントではありませんでした。

      此所ら辺は流石脳が色欲で爛れてても政治手腕だけは一流のヘンリー8世だけのことはあります。

      本人自身がアレでも敬謙なカトリック信者ということもありますが・・・・・・

      言ったら何ですが、当時のプロテスタントは御世辞にも政治に関わらせていいシロモノではなかったからです。


                ◇          ◇          ◇


      上層部がどんな崇高な精神だったか知りませんが、多くのプロテスタント信者はぶっちゃけただのルサンチマンでテロリストでした。

      そんな連中懐に入れたところで政治的には百害あって一利なしというものです。

      愚民は要求だけして自分の頭でモノ考えませんからね。

      ただその思惑も、ヘンリー8世死後は大きく外れていくことになります。


                ◇          ◇          ◇


      ヘンリー8世の嫡子エドワード6世は10歳で即位しました。

      お隣フランスを例に出すまでもなく、当時の欧州王家にとっては大して珍しくもない幼王ですが・・・・・・

      例によって、実権を握る摂政が問題でした。

      エドワード・シーモア。

      ヘンリー8世の3番目の正室ジェーン・シーモアの兄であり。

      新王エドワード6世の伯父に当たる人物です。
    • No:552 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part547 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/05/24 16:25:28 単表示 返信

      繰り返しになりますが。

      ヘンリー8世は政治的には無能という訳ではありませんでした。

      配下が野心でギラついてるのも承知していたのです。

      そこでかの二面王は予め遺言状を認めています。

      没後政治の骨子としては

      1.王太子即位後、成人までは枢密院が統治を行うこと
      2.枢密院の決定には枢密顧問官過半数の賛成が必要であること

      以上2つを定めたのです。


                ◇          ◇          ◇


      要するに特定個人が王の如く振る舞うのを禁じた遺言でしたが・・・・・・

      エドワード・シーモアは歯牙にもかけませんでした。

      ヘンリー8世が崩御するや否や速攻で王太子エドワード6世を確保。

      息もつかせず枢密顧問官を掌握し、枢密院に摂政就任を認めさせました。

      そうしてイングランドを手に入れたエドワード・シーモアは次なる野望を燃やします。

      国内プロテスタント教化とスコットランドの併合です。


                ◇          ◇          ◇


      手始めに枢密院からカトリック派を罷免し、カトリック主教を片っ端から牢屋に放り込みます。

      議会工作をし、六信仰箇条法等のプロテスタント迫害法の廃止を強力に押し進めました。

      更にはバラバラだった礼拝様式を統一する礼拝統一法を制定します。

      これはほぼほぼプロテスタント式以外の礼拝は違法とする代物で、申し訳程度に旧教式でやっても許容する上から目線と言いますか過激な内容でした。

      当たり前にカトリックの反乱が起きましたが、広がる前に鎮圧されています。

      かくしてイングランドはプロテスタントのたまり場と化したのです。


                ◇          ◇          ◇


      ただまあ。

      礼拝の仕方こそほぼプロテスタントになりましたが、イングランド国教会自体は一貫してカトリックのままでした。

      少なくとも、この時点までは。

      内実がプロテスタントになりつつも完全に新教にならなかったのは諸々紆余曲折があったのですが・・・・・・

      それはまたの機会といたしましょう。
    • No:553 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part548 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/05/31 09:38:01 単表示 返信

      とまあエドワード・シーモアのイングランド新教化への野望は志半ばにして中途半端な結果に終わった訳ですが。

      もう一つの野望・スコットランド併合に関してははっきりと生きてる内に大惨敗に終わりました。

      当時のスコットランド女王はあのメアリー・スチュワートであり。

      もうこの時点でオチが見えたと言えるでしょう。


                ◇          ◇          ◇


      まあとは言うものの。

      この当時メアリーは赤子であり、神ならぬ身でその後の恋愛脳ぶりを見抜けというのも酷な話ではあります。

      まあもっとも。

      このタイミングで画策せざるを得なかった時点でエドワード・シーモア持ってないなと言わざるを得ませんわねええ。


                ◇          ◇          ◇


      間の悪さは無理矢理婚約成立させた後も続きます。

      スコットランドの時の摂政アラン伯ジェームズ・ハミルトンがフランスの工作に負けて旧教に改宗し、親英派から親仏派に華麗に鞍替えします。

      その報復としてエドワード・シーモアは2万の大軍でスコットランドに攻め寄りました。

      危険を感じた王母メアリー・オブ・ギーズは幼い娘と共にフランスに亡命。

      同時に当時フランス王太子のフランソワ2世に娘の嫁ぎ先をチェンジしてエドワード・シーモアの野望は見事ご破算となったのです。


                ◇          ◇          ◇


      その後もエドワード・シーモアの受難は続きます。

      あろうことか弟のトマス・シーモア(40)が14歳のエリザベス1世に結婚迫って反逆罪で処刑という、全時代でアウトな事案やらかしたのです。
    • No:554 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part549 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/06/07 09:42:49 単表示 返信

      通称「シーモア事件」と後の世で呼ばれるクーデター未遂事件は、イングランド宮廷に激震を御見舞いしました。

      と言いますかあらゆる倫理においてアウツをやらかす以前から、このトマス・シーモアという男は諸々やらかしていたのである意味必然ではあったかもしれません。

      まあ倫理においてもヘンリー8世が崩御したその年に未亡人王妃とケコーンするくらいですから、最初からそんなもんなかったと思いますけどね。


                ◇          ◇          ◇


      もっとも。

      この件に関しては例によって下半身王に問題があったようで・・・・・・

      元々トマスと「最後の王妃」キャサリン・パーは交際があったようです。

      それはシモ脳王が3回目の再婚した頃からと言われてますので、国王の方が明白に略奪婚でありました。

      ちなみに邪魔なトマスは事前にブリュッセルに飛ばし済です。

      いやもうどんだけハラスメントしてるんですかこの屑王は。

      死後は数え厄満で地獄めぐりフルコース確定ですわね。


                ◇          ◇          ◇


      ちなみに。

      このキャサリン、屑王にはもったいないほど完璧な王妃だったようで。

      後のメアリー1世とエリザベス1世の誕生は、この人の尽力の賜物と言って過言ではありません。

      しかし男運だけはなかったようで・・・・・・

      トマスと再婚後、女児を授かりましたが産後の肥立ちが悪く世を去りました。

      ただ一人の娘もまもなく夭逝し、彼女の残した形あるものは何もなかったのです。


                ◇          ◇          ◇


      もしも。

      キャサリンがそのまま宮廷に残り、摂政に就任しないまでもその聡明なる影響力を振るっていたら。

      イングランドひいては欧州の歴史は違ったものになっていたかもしれません。

      特に神学への造詣は、宗教戦争への影響すらあったかもと言ったら言い過ぎでしょうか。

      しかし現実は非情です。

      キャサリンは死に、摂政の座には野心家が座ったのです。
  • No:535 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part530 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/01/25 09:35:06 単表示 返信

    ちなみに。

    外野が要らん陰謀企てていたこの時期。

    メアリーは既にヘンリーの子を身籠っていました。

    彼こそは後に「平和王」と呼ばれたグレートブリテンの王、チャールズ・ジェームズ・ステュアート。

    スコットランド王としてはジェームズ6世、イングランド及びアイルランド王としてはジェームズ1世として知られます。


              ◇          ◇          ◇


    この人も僅か1歳1ヶ月で廃位された母の跡を継いでスコットランド王ジェームズ6世として即位するなど凄まじく波乱万丈な人生送っていますが閑話休題。

    彼が未だ母の大きなお腹の中にいた時期に惨劇は起こります。

    1566年3月9日。

    食事時に押し入ってきた賊にリッチオは拉致され。

    メアリーの目の前で惨殺されたのです。


              ◇          ◇          ◇


    メアリーは悲鳴を上げて倒れ、流産の危機を迎えました。

    しかし何とか持ち直し、同年6月19日に無事ジェームズを出産しました。


    ──ここで彼が生まれてなかったら歴史はどうなっていたか?


    私見ではありますが、大した違いはなかったのではないか? と思いますわ。


              ◇          ◇          ◇


    何故かと言いますと。

    彼ジェームズ6世は王権神授説を確立したと言われ、また青い血のテンプレとして放蕩贅沢三昧で国家を傾けた能レス家族として知られていますが・・・・・・

    ぶっちゃけ王権神授説もこの人が開祖という訳でもなく、予算を食い荒らす等貴種なら誰でもやっていたからです。

    外交手腕は剛腕と言ってよく、上手く国際社会を泳ぎ切りましたが・・・・・・それも彼でなければ成し得なかったかと言われたら疑問符がつくと思っています。

    要するに彼のポジションは歴史の必然枠のようなもので。

    いなくても似たような業績を上げた別の誰かで埋め合わせられたものと個人的には思います。
    • No:536 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part531 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/02/01 10:13:11 単表示 返信

      ほんのちなみに。

      ジェームズは後々「ソロモン」と呼ばれることがあります。

      どのソロモンかと言いますと72柱の悪魔を使役し、古代イスラエルに黄金の繁栄をもたらしたあのソロモン王です。

      ならば平和王のように輝かしい二つ名かと言いますと・・・・・・

      どうもそうではなかったようです。


                ◇          ◇          ◇


      そもそもソロモン王の出自が当代王ダビデが家臣の妻と不倫して産ませた子で、直接の兄なんて神の怒りに触れて死んだ曰くつきなんてレベルじゃないものでして。

      其処からダビデ正室の子らを蹴散らして玉座に座ったのですから・・・・・・

      それに例えられるジェームズがどんな目で見られていたかなぞ容易に想像できるというものです。

      しかも不義の疑惑がデヴィッド(ダビデ)・リッチオと来ては、噂するなと言う方が酷でしょう。


                ◇          ◇          ◇


      まあ当然と言いますか、メアリーは生涯認めなかったそうです。

      真相は本人が文字通り墓の中まで持っていってしまったので知るよしもありませんが。

      まあDNA鑑定なんぞ影も形もない当時、当人たちが白と言ってしまえばそれまで。

      石を投げれば不義に当たる世の中で、追求したところで飛び火するだけとも言います。

      結局ヘンリーも折れて、認知したのです。


                ◇          ◇          ◇


      メアリーはジェームズを認知させただけに留まらず、更なる説得をヘンリーに実行します。

      曰く

      ・反乱者どもは貴方(ヘンリー)を最高権力者に据える等とほざいているが、あの権力の亡者がそんなことをするとでも思っているのか
      ・貴方はイングランド王位継承権を持っているが、スコットランド王としてはそこまで高くない
      ・私(メアリー)を弑して玉座に着いても間違いなく長続きしない。何故なら国民は正統でない王に着いていかないからだ

      etcetc

      元から頭と下半身がゆるかったヘンリーはあっさり丸め込まれ、メアリーは近衛隊長の手助けを受けて幽閉されていたホリルード宮殿から脱出したのです。
    • No:537 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part532 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/02/08 09:31:48 単表示 返信

      脱走したメアリーは反マリ伯貴族を糾合して反転攻勢に出ました。

      総兵数8000人にも達する女王軍に恐れをなし、マリ伯一派は一目散にイングランドに遁走します。

      ・・・機を見るに敏とでも言っとけば格好がつくとでも思ったのでしょうが。

      もっとも逃げ足の速さも才能の内と言えばそうなのですが。

      実際この手合いはしぶといですからね。

      もう少しでスコットランドを牛耳るところまで来ましたし。

      まあもっとも。

      最終的には嵌めようとした政敵一派に暗殺された訳ですが。

      まっこと歴史は人を呪わば穴二つですわ。


                ◇          ◇          ◇


      閑話休題。

      夫を翻意させたとは言え腹心を目の前で惨殺されたメアリーがヘンリーに心寄せるはずもなく。

      流産せずに愛の結晶(ジェームズ)が生まれたにも関わらず、夫婦関係は事実上破綻していました。

      王太子が生まれた後も別居生活を続けていた二人でしたが、1567年転機が訪れます。

      ヘンリーが病に臥せったのです。


                ◇          ◇          ◇


      ヘンリーの病名は梅毒とも言われていますが、公表はされなかったようです。

      まあ風評の類いも山盛りあったことでしょう。梅毒にかかる状況だったことは公然の秘密でしたし。

      何にせよ醜聞が続いてる王室にとって放置するのも良くはないこともあり。

      メアリーは数ヶ月ぶりに夫ヘンリーに会うことにしたのです。


                ◇          ◇          ◇


      暫くぶりに面を突き合せた二人は、驚くほど友好的な態度だったと言います。

      ・・・まあもはや「他人」レベルであるからこそ、余所行きの仮面を被って虚構の舞踊を踊ったのかも知れません。

      内心を見せず療養所をあれやこれやと提案してはヘンリーが断る柔らかな押し問答が続いた後。

      最終的にエディンバラはカーク・オ・フィールドに行くということで纒まりました。

      ──ここが最後の舞踏場になるとも知らずに。
    • No:538 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part533 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/02/15 09:51:19 単表示 返信

      1567年2月1日。

      国王夫妻は運命の舞台カーク・オ・フィールドに到着し、暫し穏やかな時を過ごしました。

      内心はどうあれ、二人とも無用の波風は立てませんでした。

      今更がなり立ててどうにかなる時期はとっくに過ぎ去っていたことを、二人は正確に知っていたのです。

      それは結果として嵐の前の静けさとなりました。

      火山の噴火前に森から音が消えるように。

      偽りの平穏は、ヘンリーの病状が改善する2月9日まで続いたのです。


                ◇          ◇          ◇


      その夜。

      快気祝と称して、旧司祭舘で大規模な宴が催されました。

      大勢が招かれ、豪勢な料理と酒、そして楽曲が供され。

      メアリーもヘンリーも、この時ばかりは気分良く過ごしていたと言います。

      少なくとも、表面上は。


                ◇          ◇          ◇


      宴もたけなわの夜が更けかけた頃。

      メアリーはふと、ある約束を思い出しました。

      寵臣のバスチアン・パージュの披露宴に参加すると言ってあったのです。

      それで中座すると告げたヘンリーは烈火のごとく怒りました。

      寵臣と言いつつバスチアンの役職は宴会担当役人です。

      政治儀礼的には重要な役職ではありましたが・・・・・・

      流石に仮にも王族と比べるものではありません。

      蔑ろにされたと思われてもむしろアタリマエと言わざるを得ませんわね。


                ◇          ◇          ◇


      しかしこの時のメアリーは妙に頑なで。

      ヘンリーがどれだけ要求しても喚き散らしても、披露宴出席を取り止めようとはしませんでした。

      結局押し問答の揚げ句時間切れとなり、メアリーは披露宴出席を強行しカーク・オ・フィールドから出て行きました。

      残されたヘンリーはあらん限りの語彙で妻を何時間も罵倒し続けたと言います。

      ・・・まあ、気持ちはわからなくもないですが。

      それが今生の別れかと思うと・・・・・・微妙な気持ちになりますわね、ええ。
    • No:539 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part534 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/02/22 09:36:19 単表示 返信

      さて。

      どれ程鬱憤が溜まろうとも、どれ程不満があろうとも。

      所詮は人間、悪態の語彙は尽きますし感情エネルギーだって限りがあります。

      ヘンリーはメアリーへの罵倒を何ループかさせた後、流石に疲れたのか手にしたワインを一息に飲み干すと割り当てられた寝室へと引っ込みました。

      そしてこれが。

      生前のダーンリー卿ヘンリーの、最後の姿となりました。


                ◇          ◇          ◇


      1567年2月10日未明。

      ヘンリーが不貞寝した数時間後に、エディンバラ郊外で爆炎が吹き上がりました。

      野次馬が見た光景は瓦礫と化したカーク・オ・フィールドと、庭にかすり傷一つ無い死体が2つ、転がっていた光景でした。

      死体の生前の名はヘンリー・スチュアートとウィリアム・テイラー。

      寝室へ向かったダーンリー卿とその従卒です。


                ◇          ◇          ◇


      二人の死因は絞殺と診断されました。

      首に痕が残っていたからです。

      この大胆不敵な王族殺人事件にスコットランド民は震撼し。

      そして口さがなく犯人探しが始まりました。

      槍玉筆頭は不仲公然の秘密であるメアリーと。

      リッチオ事件の後、急接近していたボスウェル伯ジェームズ・ヘップバーンです。


                ◇          ◇          ◇


      ボスウェル伯としては4代目となるジェームズ・ヘップバーンは、エディンバラの高等行政官の家の生まれです。

      イングランドとの小競り合いや盗賊討伐で名を上げたバリバリの軍人であり、マリ伯のクーデターを潰し敗走させたのも彼です。

      そんな彼ですが、この暗殺の主犯と目されたにはいくつか理由があります。

      一つは勿論噂されるメアリーとの不倫ですが・・・・・・

      爆破現場から駆け去る11人の中に、ボスウェル派の貴族を見たという証言が出てきたからなのです。
    • No:540 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part535 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/03/01 11:33:30 単表示 返信

      暗殺が発覚し、現場検証が終わって明けた2月12日。

      枢密院は犯人を告発した者に2000ポンドの報酬を用意すると発表しました。

      また、自首した者を赦免するとも。

      これはつまるところ、最初の捜査では決定的な証拠を掴めなかったことを意味します。

      事実、枢密院はヘンリー暗殺犯はボスウェル伯の単独犯等と証言とすら異なる結論を出しましたが、4月12日のトルプース裁判では逆転無罪とされました。

      つまりこの時点ではメアリーもボスウェル伯も潔白ということになったのです。


                ◇          ◇          ◇


      もっとも。

      幾許もない内にこの評価は反転します。

      いえ、当初の疑惑に戻ってきたと言うべきでしょうか。

      後になって『証拠と称するモノ』が出てきたのです。


                ◇          ◇          ◇


      それはメアリーがボスウェル伯に宛てた何枚もの手紙でした。

      銀細工の小箱に入れられていたことから「小箱の手紙」或いは「秘密の手紙」と呼ばれています。

      そしてその中に、夫ヘンリー暗殺に賛同する内容があったのです。


                ◇          ◇          ◇


      ちなみにこの手紙を「証拠」として高々と掲げたのはボスウェル伯と悉く対立していた政敵マリ伯です。

      彼らはボスウェル邸から押収したと主張していますが、もし直接取ってきたなら不法侵入では?

      ついでに言いますと原本はフランス語と言っていますが公表したのは何故か英語とラテン語でした。

      まあ怪しさ大爆発ですわね。

      しかしスコットランドの民はこの露骨な工作を信じました。

      メアリーとボスウェル伯の行動が、信憑性を持たせてしまっていたのです。
    • No:541 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part536 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/03/08 10:03:19 単表示 返信

      というのも。

      仮にもスコットランド王が暗殺された混乱冷めやらぬ1567年4月23日。

      欧州を心底仰天させる事件が起こったのです。

      寵臣ボスウェル伯が主君メアリー・スチュワートを拉致監禁し、あまつさえ結婚に踏み切ったのです。


                ◇          ◇          ◇


      この話を聞いた其処の貴方。

      おまえは何を言っているんだと思いましたわね?

      タテマエ上無罪となったとは言え判決が出たのはたったの11日前

      ほとぼりを冷ますなんて概念持ち合わせてないんでしょうかね?

      露骨とか性急ってレベルじゃねーですわよ。

      いやホントマジでマジで。


                ◇          ◇          ◇


      アタリマエの話ですが全方面から猛反発喰らいました。

      一説によりますと結婚式でメアリーの方は憔悴していたとも言われますが。

      まぁ庶民やましてや敵対派閥にとっては知ったこっちゃないですわね。

      そんな訳で。

      いかにも怪しげな証拠()がさも確たるもののように流布されて・・・・・・

      スコットランドにメアリーの居場所はなくなってしまったのです。


                ◇          ◇          ◇


      実のところ。

      ダーンリー卿ヘンリーを暗殺したのが何処の何者かであるかは現代に至ってもはっきりしてません。

      状況的に一番怪しいのはメアリーですが・・・・・・

      逆に言うと、誰でも疑惑の目を向けると分かりきってて実行するか? と言われると些か疑問です。

      ボスウェル伯も以下同文。

      となると、次に怪しいのはメアリー諸共失脚させたいマリ伯一派ですが・・・・・・

      イングランドに㌧ズラこいてる彼らにそんな隠謀実行できるのか? といった疑問があります。

      まあ何にせよ。

      例によって例の如く、真相は歴史の闇の中ということです。
    • No:542 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part537 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/03/15 09:35:05 単表示 返信

      ともあれ。

      何をとち狂ったか知りませんが、メアリーはボスウェル伯と三度目の結婚を果たします。

      ぶっちゃけて言うと「誰も幸せにならない」結婚でした。

      新教も旧教も「夫殺しにして王族殺し」はノーセンキューでした。まぁアタリマエですわね。

      そして当時、シューキョー派閥に入ってない貴族なんてモンは有り得なかったので・・・・・・

      国王新郎新婦は文字通り孤立したのです。


                ◇          ◇          ◇


      そんな鴨が葱と鍋と携帯コンロ背負ってるような状態を見逃すほど当時の貴族は博愛主義ではありません。

      結婚式から1ヶ月もしない内に当然の如く叛乱が起こりました。

      そして10日で決着が着きました。

      速っ! と思いましたか?

      正直わたくしもそう思います。

      ですが女王派はボスウェル伯の手勢260人のみ。

      これでスコットランド全部を相手取るのは孔明でも無理というものですわね。


                ◇          ◇          ◇


      という訳で国王派(貴族以上二名)の内、ボスウェル伯は逃亡。

      メアリーはロッホリーヴン城に幽閉されました。

      そして陰鬱な日々を送るメアリーの元に、致命的な使者が訪れます。

      彼らは生まれたばかりの王子ジェームズに王位を禅譲しろと迫ったのです。


                ◇          ◇          ◇


      その使者の中には、かつてリッチオを目の前で殺害したルースベンの姿もありました。

      メアリーの心情たるや如何ほどのことでしょうか。

      しかし全てを失った彼女に最早為す術はなく。

      この上ない屈辱を飲まざるを得なかったのです。
    • No:543 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part538 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/03/22 10:31:44 単表示 返信

      ここまでされたら普通はぽっきり折れ、ロッホリーヴン城で残りの生涯を修道女のように過ごしたことでしょう。

      しかしメアリーは挫けませんでした。

      挫けるどころか隙を突いて城から脱走し。

      あろうことかイングランドに亡命して宿敵エリザベス1世に身柄の保護を要求したのです。


                ◇          ◇          ◇


      この暴挙を知らされたイングランド宮廷の混乱は察するに余りありますが・・・・・・

      結局エリザベス政権はメアリーの亡命を受け入れました。

      当初スコットランドに熨斗つけて強制送還も視野に入っていたようですが・・・・・・

      メアリーとエリザベスの複雑な生い立ちが、それを許さなかったのです。


                ◇          ◇          ◇


      そもそもの元凶はと言いますと、先々々代王ヘンリー8世まで遡ります。

      彼は正妃キャサリン・オブ・アラゴンに不満を抱いていました。

      というのも彼女は6度出産しましたが、5人が死産夭逝。

      唯一育ったメアリー1世も女子と、跡継出産能力が疑問視されていたからです。

      当時の生存率としては言うほど悪くない打率のハズなのですが・・・・・・

      結婚に至る経緯に問題がありすぎたのです。


                ◇          ◇          ◇


      元々キャサリンはヘンリー8世の兄アーサー王太子(当時)の妃でした。

      盛大に結婚式も挙げ、しっかり初夜で寝室を共にしました。

      ・・・実は当時、初夜に初夜する(直球)することはシて当然ではありませんでした。

      特に政略結婚の場合は顕著でして、指一本触れるどころか無言でさっさと寝てしまうことも珍しくなかったと言います。

      つまり結婚したことは動かざる事実なのですが。

      お手付きであったかどうかは闇の中だったのです。
    • No:544 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part539 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/03/29 09:44:11 単表示 返信

      通常であればこんな下世話な話は俎上にも上がらないのですが。

      キャサリンの夫アーサーが結婚後僅か4ヶ月で急逝したことで事態は風雲急を告げます。

      同時期にヘンリー8世の兄弟も軒並みあの世行きになり、イングランド王位継承者はヘンリー8世しかいなくなってしまったのです。


                ◇          ◇          ◇


      この状態は王家的には大変よろしくないので、可及的速やかに配偶者をあてがう必要が生じたのですが・・・・・・

      ここでヘンリー7世は、とんでもない暴挙に出ます。

      なんと夫を亡くして失意の内にあるキャサリンを、アーサーの弟であるヘンリー8世の婚約者にあてたのです。


                ◇          ◇          ◇


      もうね、何処の昼ドラですかと言わざるを得ません。

      しかも理由が嫁の持参金返したくないとあっては開いた口が塞がりませんわええ。

      その上最初は持参金ネコババするために自分の後妻に据えようとしたのですから救えません。

      こんなクズ(失礼)でも統治はそこそこ有能だったようなので余計救えませんわね。


                ◇          ◇          ◇


      なおキャサリンをイングランドに留めようとするタテマエは流石に痴情のもつれということはありませんでした。

      元々彼女はスペインとの関係改善のための生贄、もとい政略結婚のためにやってきています。

      たかがイングランド側の長男がおっ死んだ程度で返品する訳には行かなかったのです。

      そんな事情でキャサリンは夫の弟ヘンリー8世と婚約させられる運びとなりました。

      ちなみに当事者は全く乗り気じゃなかった模様です。

      ・・・ここで断固拒否してれば、後のグレートブリテン島はもう少しマシな歴史を辿っていたかも知れません。

      それ程、この結婚は爆弾だったのです。
  • No:525 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part520 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2022/11/16 09:47:46 単表示 返信

    さて。

    この無軌道というか無秩序または無法状態を、王母兼時々摂政のカトリーヌが座して見ていたかというと無論そんなことはありません。

    事が起こる前から、様々な手を打ってはいました。

    もっとも重要な計画は尽く上手く行かなかった訳ですが。

    何故上手く行かなかったかと言えば・・・・・・

    究極的には運がなかったとなりますでしょうか。


              ◇          ◇          ◇


    こう言ってはなんですが、カトリーヌは生まれた時から呪われてるとしか思えない人生でした。

    生まれてすぐに両親が死んで親戚の権力者の間をたらいまわし。

    勝手にクーデター起こされて修道院に叩き込まれた挙げ句に市中引き回しの刑に処せられ、命からがら逃げ出したと思ったら政略結婚の具。

    嫁ぎ先では石女扱いされて死ぬ思いで出産に漕ぎ着けても夫は愛人に夢中。

    それでも愛を捧げていたら夫は馬上試合で頓死とマジでロクな事がありませんでした。

    よくもまあ、世を儚まなかったものです。

    このど根性も合わせて名作劇場主人公感ではありますが。


              ◇          ◇          ◇


    閑話休題。

    まずカトリーヌは国難を無秩序に拡大させている末息子を呼び付けて叱り付けました。

    その説教は6時間にも渡ったと言いますが・・・・・・

    正直言ってその後のアンジュー公の行動を見る限り、効いているとは思えませんわね。

    シャルル9世の時も説得に難航していたことから見るに、カトリーヌは説得下手かもしれません。

    目の上のたんこぶディアーヌを追い出して政権握って十数年、政治的ネームド参謀の名前がさっぱり聞こえてこないところから見ても・・・・・・

    そもそも人を味方につけるのが苦手の可能性もあります。


              ◇          ◇          ◇


    まあ縁も運の内、実力の内です。

    元々人の上に立つ器ではなかった・・・・・・と言ったら厳しすぎでしょうか。

    ただまあ。

    当人に選択肢などなかったことを考えますと、運命に翻弄された憫れな母であったと思います。
    • No:526 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part521 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2022/11/23 18:20:05 単表示 返信

      ともあれ。

      カトリーヌは自らが最善と思う手は全て打ってきました。

      しかしこう言ってはなんですが・・・・・・

      後知恵でなく当時の視点から見ても、客観的にベストとは言い難い策ではありました。

      ナバラ王アンリと末娘マルグリットの結婚もその一つです。


                ◇          ◇          ◇


      先に軽く触れましたが、この結婚は誰も幸せにならない結果となりました。

      カトリーヌの目論見としては夫婦生活がどうであろうと婚姻したという事実があればそれで問題ない考えだったんでしょうが・・・・・・

      サン・バルテルミの虐殺から全てが狂いだしました。

      まぁあの虐殺自体がカトリーヌの企みだったのですから、因果応報としか言いようがありませんがね。


                ◇          ◇          ◇


      と言いますか。

      結婚式直後に新郎を幽閉して放置プレイとか何考えてるんでしょうね?

      ただでさえ新婦は最後まで(それこそ結婚式の〆ですら)反抗していたのに、多少なりとも歩み寄る機会を設けなかったことは後にカトリーヌとヴァロワ朝にとって致命傷となります。

      といいますかカトリーヌ、ちょくちょく王母は人の心がわからぬムーブかましてますが・・・・・・

      友人を得る機会が7歳くらいまで過ごしたフィレンチェだけと考えると、やむを得ない境遇であったと言えます。


                ◇          ◇          ◇


      本人が人間を理解しないマシーンであったとしても、側近なりが補佐していれば違った展開もあったでしょう。

      しかし輿入れ後のカトリーヌ、王の寵愛は愛人ディアーヌに独占され、跡継ぎを産む機械としても8年もの間失格の烙印を押されていました。

      これで信頼できる腹心など出来るでしょうか? 否出来る訳がありません。

      つくづくカトリーヌは運に見放された女帝だったのです。
    • No:527 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part522 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2022/11/30 10:46:55 単表示 返信

      運といえば。

      カトリーヌの子女は揃いも揃って出産運に恵まれませんでした。

      母后からしてえらい時間がかかったので、そういう血筋なのかもしれません。

      まあ子女のほとんどが夭逝しているので生まれる暇がなかったのは事実ですが。

      ただ。

      歴史を俯瞰するとヴァロワ朝絶対滅ぼすマンだかウーマンが暗躍してたのではないかと。

      そんな気にもさせられます。


                ◇          ◇          ◇


      実のところ。

      アンリ3世がさっさと手を出してマルグリットと子を成していれば、この後の3アンリの戦いは起こり得えませんでした。

      ・・・・・・いえ、子が早世するのも珍しくなかったですから・・・・・・起こり得なかったは言い過ぎですか。

      そもそも3アンリの戦いはギーズ一族が増上慢した結果ですから、多少時期が前後したところで起きるのは必然だったのではないでしょうか。


                ◇          ◇          ◇


      まぁとは言っても。

      アンジュー公が頓死してプロテスタント首魁のナバラ王アンリが第一継承者にならなければギーズ一派が暴れる大義名分もなかったので・・・・・・

      戦闘は小競合いに終始して、主な舞台は宮廷暗闘だった可能性もあります。

      まあ史実でも決め手は暗殺と暗殺返しだったので、大筋では変化しなかったかもしれません。

      歴史はまこと複雑怪奇ですわ。


                ◇          ◇          ◇


      それにしても。

      ナバラ王も結局はパリ市民の偏執的な旧教支持に屈して改宗するのですから、最初からやっとけと言いたくなります。

      パリ市民も改宗如きであっさり受け入れるのもなんだかなであります。

      まあここら辺は現代っ子のわたくしには理解できない感覚ですわね。

      昔はもっと宗教依存が激しかったらしいですが・・・・・・

      正直想像の埒外であります。
    • No:528 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part523 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2022/12/07 09:34:16 単表示 返信

      とまあカトリーヌにとっては割とお先真っ暗な状況でしたが、いよいよ決定的にまずい事態が訪れます。

      末息子アンジュー公フランソワの死です。

      ギーズ一派がのさばって王家への求心力が低下する中、若き後継者筆頭の死は文字通り致命的な打撃を与えたのです。


                ◇          ◇          ◇


      まあアンジュー公もプロテスタント側で戦ったりカトリック同盟に与したりネーデルランドにちょっかい出したりと蝙蝠っぷりを遺憾なく発揮してた訳ですが。

      逆にその腰の軽さというか節操のなさが宗教的偏執を感じさせなかったりしたかもしれません。

      即位すればカトリックになってくれるだろう的な。

      王として都合が良ければそうするだろうのような期待があったとしても、まあおかしくはなかったと思います。

      伝統的狂信者のギーズ一派がどう思うかはさて置いても。


                ◇          ◇          ◇


      しかしそのような危ういバランスと言いますか淡い期待は、アンジュー公が結核で頓死して頓挫しました。

      この死によりアンリ3世の死後フランス王座を継ぐのはプロテスタント首魁ナバラ王アンリとなり、王を頂いてなおプロテスタントを圧しきれないカトリック陣営にとって致命打になる未来が現実味を帯びてきました。

      となれば座して死を待つなど有り得ないのがギーズ家の流儀。

      すぐさま行動に移します。


                ◇          ◇          ◇


      手始めにギーズ公アンリは未だ宮廷を掌握しきれてないアンリ3世に圧力をかけ、ナバラ王アンリの王位継承権を無効にさせました。

      更に時のローマ教皇シクストゥス5世と連動して破門状を出させます。

      当時政教分離何それレベルで密接に関係していたので、この破門攻撃はナバラ王アンリに深刻なダメージを与えました。

      その尾は3アンリの戦いが終わった後々まで引くことになります。
    • No:529 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part524 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2022/12/14 09:33:07 単表示 返信

      まあ旧教側も言うほど一枚岩ではありませんでした。

      世俗の権力とかどうでもいい敬虔な信徒もそれなりにいて、特にフランスにはそれなりに歴史を持つガリア主義もあります。

      有り体に言って国内事情は四分五裂の惨状で、その上プロテスタントの背後には相変わらずイングランドの影がチラつきます。

      もはや自陣営以外はみんな敵、と言っても過言ではなかったのです。


                ◇          ◇          ◇


      なお我が道行き過ぎるギーズ一派はスペインの援助を取り付け、北フランスの制圧を開始します。

      第8次ユグノー戦争の始まりです。

      何しに北フランスの田舎まで? には諸説ありますが・・・・・・

      後の英西戦争に向けてスペイン無敵艦隊の補給港の確保も目的の一つと言われています。


                ◇          ◇          ◇


      当時の───ある意味では今もですが───の欧州は各国一通り殴りあっていましたが、特にイングランドとスペインは怨敵と言って過言ではない犬猿の仲でした。

      特にプロテスタント大首領エリザベス1世が即位してからは殴りあわない日がないくらい喧嘩外交していましたが・・・・・・

      ある事件によりいよいよ全面戦争に突入します。

      国王暗殺未遂で処刑されたイングランド王位継承者、メアリー・ステュアート。

      かつてカトリーヌの長男フランソワ2世に嫁ぎ、紆余曲折の末イングランドに出戻ってきた未亡人です。


                ◇          ◇          ◇


      元々メアリーはイングランドの政争に敗れてフランスに亡命してきたようなものでした。

      時のフランス国王アンリ2世は仇敵イングランドを屈伏させるチャンスと捕らえ、ことあるごとにメアリーこそ正統イングランド女王であると喧伝し、メアリー本人もノリノリで我こそは正規女王を自称していました。

      まあ無根拠と言う訳でもなく、イングランド国内にも支持派がいたりしましたが・・・・・・

      一度即位したものをひっくり返すのは無論並大抵のことではなかったのです。
    • No:530 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part525 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2022/12/21 09:58:37 単表示 返信

      と言いますか。

      実のところ、王の血統を残したのはこのメアリーの方で、エリザベスはお見合い話ばかりの耳年増で終わったので王族としての評価はむしろ逆となります。

      後世の後知恵と言われればそれまでですが・・・・・・

      まこと人生、何があるか分かったもんじゃありませんわね。


                ◇          ◇          ◇


      もっともエリザベス自身も別に同性愛者とか男に興味ないとかではなかったようで、実のところ成婚しなかったのは歴史のミステリーの一つです。

      一説によると継母の再婚相手トマス・シーモアとか言うロリコン野郎に狙われたのがトラウマとも言われていますが真相は不明です。

      わたくし的には治世の鉄の女っぷりからしてそんなタマかと思うのですが・・・・・・

      まあ私人と公人は別物ということもある程度理解はありますので、そんな単純な話でもなかったのかもしれません。


                ◇          ◇          ◇


      エリザベス女王も大概めんどくさい御仁でしたが、メアリーも負けず劣らずめんどくさい経歴の持ち主です。

      最初の夫フランソワ2世が頓死してスコットランドに帰国した彼女は取り敢えずスコットランド女王となり、異母兄弟であるマリ伯ジェームズ・スチュワートを政治的右腕に任命しイングランド女王の座を狙い始めます。

      自称自体はフランス王妃時代からやっていたようですが、いよいよ腰を据えてかかるようになったようです。

      その一環も兼ねてメアリーはダーンリー卿ヘンリーとの再婚を推し進めることにしました。


                ◇          ◇          ◇


      ダーンリー卿ヘンリーは母方の従兄弟でイングランド王位継承権としては自分(メアリー)と同格で、基盤固めには申し分ない相手でした。

      となれば政敵エリザベスが黙っているはずがありません。

      即座にヘンリーに「イングランドに戻ってこなければ反逆罪と見なす」と突き付け、実際に彼の母マーガレット・ダグラスをロンドン塔に軟禁しました。

      しかしダーンリー陣営は、その警告をまるっと無視したのです。
    • No:531 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part526 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2022/12/28 11:06:27 単表示 返信

      まあこのマーガレット・ダグラスは前にも結婚関係でロンドン塔に投獄されてたりしますので、むしろ勝手知ったる何とやらだったかも知れません。

      と言いますか彼女、先女王メアリー1世から次代女王にするつもりと言われていましたので元からエリザベスとの関係は最悪でした。

      あの女狐の嫌がることならもっとやれくらい思っていても不思議はありません。


                ◇          ◇          ◇


      そもそもダーンリー卿ヘンリーとメアリーの結婚を推進していたのはこのマーガレットという話もあります。

      この結婚によりイングランドとスコットランドの王位継承権が一本化され、予々からの懸案であったスコットランド問題に解決の鼻緒が付けられるからです。

      ついでにと言いますか本命の政治権力基盤も磐石になると来ればやらない理由がありません。

      そして敵対するエリザベスからすれば、寝言は寝てから言えの暴挙でもあったのです。


                ◇          ◇          ◇


      しかしこの一連の騒動があった1560年代はフランス側で言えばシャルル9世の御世で、次のユグノー戦争に向けて各方面絶賛暗躍の真っ最中の時期です。

      ただでさえ足元不安定の上一応他国であるスコットランドへの有効な干渉手段はそう多くありませんでした。

      それこそ未だイングランド国内にいたマーガレットを捕まえて幽閉するくらいしかなかったのです。


                ◇          ◇          ◇


      しかし。

      実のところ、エリザベスがメアリー問題解決に乗り出す必要は余りありませんでした。

      何故ならば。

      メアリーが結婚相手に選んだヘンリーは、女癖悪い上に権力に固執するテンプレ悪役貴族だったからです。
    • No:532 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part527 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/01/04 09:31:44 単表示 返信

      ダーンリー卿ヘンリー・スチュワートは第4代レノックス伯マシュー・ステュアートとマーガレット・ダグラスの間に生まれました。

      母マーガレットも結構アレな人でしたが、父マシューも勝手にダンバートン城に攻め入った揚げ句にスコットランドから追放されてたりしたので、ヘンリーがアレなのも血筋と環境の成せる技であったでしょう。

      まあ当人にも直そうという気が皆無のようでしたので自業自得ではあります。


                ◇          ◇          ◇


      ちなみこのダンバートン城・・・起原はなんと5世紀、古代ローマ時代まで遡ります。

      クライド川とリーブン川の合流地点沿いに建つ要衝で、アーサー王伝説にも登場したことがある由緒正しい古城です。

      スコットランド王城となっていたこともあります。

      この時代になると刑務所として使用されていたようですが、立地的に重要拠点であることに変わりはなかったでしょう。

      後にメアリーもこの城を舞台の一つとしてメアリアン内戦が勃発したりするのですが、それはもう少し後の話になります。


                ◇          ◇          ◇


      閑話休題。

      典型的プレイボーイ貴公子であったヘンリーは、その手練手管によってメアリーをメロメロにしました。

      結婚前からロス伯、オールパニ公、しまいにはスコットランド王の称号すら与え、地位も名誉もほしいままにさせたのです。

      端から見たらヒモに貢ぐダメ女以外の何者でもありませんでしたが、当人たちはどこ吹く風。

      まさにこの世の春を謳歌していました。


                ◇          ◇          ◇


      地位・名誉・そして金。

      結婚強行当時のヘンリーは、まさに人生の絶頂期でした。

      ここで満足しておけば、周囲から煙たがられつつも栄光の人生のまま生涯を終えられたかも知れません。

      しかし、強欲というものは際限がないから強欲なのです。

      そして強欲は破滅への一里塚。

      間も無く彼は、それを身をもって思い知ることになります。
    • No:533 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part528 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/01/11 11:37:06 単表示 返信

      最初の兆候が何であったかは、歴史資料からは推測困難です。

      ただ事実として、ヘンリーはスコットランド王の名誉だけでは飽き足らず実権を寄越すよう再三再四に渡って要求していたこと。

      結婚後も浮名を流し続けたこと。

      そして妻メアリーが病に臥せっていた時に1週間以上も狩猟で遊び呆けていたこと。

      それらによってブチ切れたメアリーがスコットランド王を剥脱し、国王夫妻の肖像を描いた銀貨を全て回収したこと。

      最初がどうあれ、もはや関係が修復不能であることは誰の目にも明らかだったのです。


                ◇          ◇          ◇


      さて当の浮気亡者はどうしてたかと言いますと・・・・・・

      ある意味予想通りに逆怨みしていました。

      自分に冷たくなったのはメアリーが不倫してるからだ、等と自らの所業を火星軌道まで放り投げた妄言を垂れ流し、不倫相手(妄想)の抹殺を企むようになります。

      その想像上の不倫相手の名はデイビッド・リッチオ。

      音楽家にしてメアリーの秘書、そしてダーンリー卿ヘンリーの友人でもあった男です。


                ◇          ◇          ◇


      リッチオはピエモンテ州生まれのイタリア人で、カトリック信者でした。

      メアリーはプロテスタント容認派でしたが自身は改宗する気もなかったので、リッチオは接しやすい相手でした。

      更に言えばリッチオは気遣いのできる男で有能とくれば、そりゃあ重用するってもんです。

      誰だってそーします。わたくしだってそーします。


                ◇          ◇          ◇


      なお当時のスコットランドはメアリー帰還のちょっと前からプロテスタントが幅を利かせており、メアリーは他所者扱されていたと伝えられています。

      夫ヘンリーは一応カトリックではありましたが・・・・・・

      側近に取り立てていたマリ伯ジェームズ・ステュアートやウィリアム・メイトランド等有力貴族は大体プロテスタントでしたので、表向き融和政策に賛成していたとしても深い溝があったのです。
    • No:534 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part529 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/01/18 09:45:38 単表示 返信

      ちなみにそのマリ伯はメアリーの異母兄で、結婚直後にクーデターを目論んで敗走、イングランドに亡命しています。

      ヘンリーを排除して自分が実権を握る野心があったとも言われていますが・・・・・・

      いやもう最大の政敵は血を分けた兄弟を地で行ってますわね。

      まっこと中世欧州は地獄ですわ。


                ◇          ◇          ◇


      ともあれ。

      一度敗れた如きで諦めては貴族など務まらん! と言わんばかりにマリ伯は陰謀を巡らせます。

      自分はイングランドに逃げ隠れていても情報網は健在のようで、当然メアリーとヘンリーの不仲なぞ筒抜けでした。

      勿論こんな美味しいネタを前に手をこまねいているようでは欧州貴族など以下略。

      早速水面下で蠢動を始めます。


                ◇          ◇          ◇


      調略の向かう先は異母妹のメアリー・・・・・・ではなく。

      (後ろ手に鈍器を隠しつつ)手を差し出したのは、ヘンリーの方でした。

      結婚時にクーデターまで起こしといて今更すり寄るなど恥の概念はないのかですって?

      そんな程度の体面を気にしてるようでは欧州貴族以下同文。

      最後に勝てばよかろうなのだァーッ! ですわ。

      1mmも見習う気にはなれませんけどね。


                ◇          ◇          ◇


      そもそも論として。

      マリ伯的には権力を握りたいのですから、間男(推定)のリッチオに懸想している(と妄想されてる)メアリーに与したところで何の益もありません。

      政治をそれなりにやるメアリーより、梅干し大の真っピンクに染まった脳味噌所有のヘンリーの方が御し易しと見ても何の不思議もありません。

      事実「貴公を真のスコットランド王にする代わりに我々の復権を保証せよ」等という空手形に嬉々としてサインしたと言います。

      全く、そんな脳弱だから暗殺されるんです。

      まぁ謀略仕掛けた方も大体暗殺されますけどね。

      まっこと中世欧州は地獄ですわ(2回目)
  • No:515 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part510 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2022/09/07 09:32:17 単表示 返信

    虐殺の嵐はパリのみならずトゥールーズ、ボルドー、リヨン、ブールジュ、ルーアン、オルレアン、モー、アンジェ、ラシャリテ、ソミュール、ガヤック、トロワの主要12都市でも吹き荒れました。

    犠牲者は最低でも7000人を下回ることはないと言われています。

    期間も5日どころではなく、秋まで逝ってもまだ終わらない泥沼の様相を呈していました。

    神父どもは右の頬を打たれたらどころか打たれる前に敵の首を左から狩れ等と抜かす始末で、和解しようなんて意志は1mmもありませんでした。

    同じ口で汝の隣人を愛せよとか言ってんですかね?

    厚顔無恥にも程がありますわ。


              ◇          ◇          ◇


    一方で。

    この集団ヒステリーから逃れられた者もいます。

    例えばナントでは、早漏の一部市民が暴動を起こしていましたが軍は動きませんでした。

    保身なのか先見の明かは分かりませんが、市長がアンジュー公からの粛清令を無視してサボタージュ決め込んでいたため国王からの撤回命令が間に合ったのです。

    何にしても多くの市民の命が助かったのは事実なので、そこのところは評価してもいいんじゃあないかと思いますわええ。


              ◇          ◇          ◇


    また、これとは別のケースですが・・・・・・

    ルーヴル宮殿に宿泊していたプロテスタント貴族の内、新婚のナバラ王と従弟のコンデ公は処刑を免れました。

    こちらは純然たる政治的意図によるものです。

    間違っても結婚してすぐあの世行きを憐れんだなんて甘っちょろい理由ではありません。


              ◇          ◇          ◇


    そもそもの話。

    何故プロテスタント盟主ナバラ王アンリとカトリックの首魁であるフランス王女の結婚が成されたかと言えば、新旧教融合和解がお題目だったはずです。

    それを結婚して早々片方抹殺したとあっては何のための結婚かわかりゃしません。

    ・・・まあ、虐殺決行しておいて何を今更ではあるのですが。

    虐殺のタテマエが「国家反逆の予防」なので、どれだけ見え透いてても和解の象徴である結婚をなしには出来なかったのです。

    それに元々カトリーヌはナバラ王をマルゴで籠絡して改宗させるプランがだったとも。

    その意味でこの助命は必然だったと言えます。
    • No:516 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part511 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2022/09/14 09:49:04 単表示 返信

      さて。

      一部の幸運者を除き、老若男女問わず殺戮の嵐がフランス全土に吹き荒れた訳ですが・・・・・・

      カトリーヌがここまで望んでたかと言えば、間違いなく否でしょう。

      彼女は現実主義者であり、宗教に関してはむしろ無関心に近かったと言われています。

      プロテスタントを嫌っていたのも度重なる王家へのテロ行為からであり、教義なぞカトリックのものですら知ってるか怪しいものです。

      つまり彼女にとってプロテスタントはただの反乱分子で、この世にいてはいけない悪魔でもなければ一人残らず滅ぼすべき異教徒でもなかったのです。


                ◇          ◇          ◇


      それが証拠に。

      パリ在住ユグノー首脳陣を粗方処した8月26日に、国王シャルル9世はパリ高等法院で「此度の争乱はユグノーの陰謀の阻止である」と宣言し、戦勝パレードを行いました。

      裏通りどころか表でも虐殺と戦闘は続いていましたが・・・・・・国王一派はガン無視しました。

      そして宮殿に戻るとシャルル9世は書簡を書き、治安を乱さない限りプロテスタントに手出ししないよう命じます。

      第一作戦目標(コリニー提督抹殺)は達したので、この辺で手打ちにしたかったのは明白でした。

      しかし。

      そんな甘っちょろく都合のいい話はがあるはずもなく。

      虐殺と混乱は留まるところを知らなかったのです。


                ◇          ◇          ◇


      原因の一つとして。

      狂信者ギーズ一派とシャルル9世に嫌がらせがしたいアンジュー公アンリが結託し、先んじて各地にユグノー抹殺指令を出していたことが挙げられます。

      当時電話なんて便利なものはありませんでしたから、どうしてもタイムラグが発生します。

      ナントみたいに日和見サボり決め込んでれば別ですが・・・・・・

      そのような幸運に預かれた者は、ごく僅かだったのです。


                ◇          ◇          ◇


      もう一つの原因はまさにこのタイムラグにあり、重装の軍より早馬の方が速いのは必然です。

      つまり震源地のパリと違い、地方のプロテスタントには行動を決める猶予がありました。

      中央に近いプロテスタントは恐慌のあまり信教を捨てる者が続出しましたが、地方ほど国外脱出を選ぶ者が多かったと言います。

      要するにユグノーをこの機に根絶やしにする等土台不可能であり。

      その見る目の無さが泥沼の戦いに通じていくのです─────────
    • No:517 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part512 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2022/09/21 10:44:59 単表示 返信

      命辛々逃げ出して人心地ついたユグノー逹は、この一方的な虐殺劇に深い憎悪を滾らせます。

      特に今回の「国王の命」による「先制攻撃」は、彼らの心理に激甚を熾しました。

      これまでのユグノーの行動は「佞臣より王をお救いする」で一貫していました。

      手段こそ短絡的であったとは言え、其処には確かに王家への忠誠があったのです。

      それが最悪の形で裏切られたのですから、彼らの怒りはまさに天を衝く勢いでした。

      彼らは王家に完全に失望し、見限りました。

      そして。

      後の本格的な革命の萌芽が、この時生まれたのです。


                ◇          ◇          ◇


      テオドール・ド・ベーズという神学者がいます。

      ブルゴーニュ地方はヴェズレーの知事ピエール・ド・ベーズの息子で、ジャン・カルヴァンの死後はカルヴァン派の首魁となった人物です。

      彼はこの惨劇を悲しみ、ある決心を元に書をしたためます。

      『臣民に対する為政者の権利について』と題されたそれは、端的に「人民に認められない王は王足りえず、僭王に対抗するのは合法である」と主張するものでした。

      後に言うMonarchomaque、暴君放伐論がここに産声を上げのです。


                ◇          ◇          ◇


      この暴君放伐論は要するに悪い奴は王だろうが柱に吊るされるのがお似合いだという大変分かりやすいものでしたので、すぐに広まりました。

      まあ軍組織として旗印にするには少々野放図なきらいもありましたので、ゲルマン伝統の等族国家文化等も取り入れつつ整備されていきました。

      最終的には「君主の統治権は人民との契約の元に与えられる」とされました。

      神→君主と神→人民の間に契約があるとし、君主は神の法を遵守し人民に法を守らせる義務があるとするものです。

      つまり君主自身が神の法を守らないなら、人民は神の法を優先して当然で、神に背いた君主はポイして良いということです。

      この神の法から神を除いて「人が守るべき法」とすると民主主義の原型の一つになります。

      つまるところが。

      フランス王家は目先のたんこぶ除去するために、自らの命脈を滅ぼす致死毒を生成してしまったのです。


                ◇          ◇          ◇


      この埋伏の毒は百年の時を経て、まずイングランドで炸裂しました。

      後に言う清教徒革命です。

      そして更に百年後。

      史上最大の流血革命としてフランスに舞い戻ってくるのです─────────
    • No:518 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part513 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2022/09/28 09:35:42 単表示 返信

      なお勝鬨を上げた旧教&国王派も、勝利の美酒に酔っていられたのはほんの一時に過ぎませんでした。

      各地から脱出してきたユグノー陣営が、ラ・ロシェルに集結して徹底抗戦の構えを見せたのです。

      第4次ユグノー戦争の始まりです。


                ◇          ◇          ◇


      国王軍はアンジュー公アンリを旗印に鎮圧に向かいましたが、抵抗が頑強で中々進みません。

      ここで敗れでもしたら暫く立ち直れなくなるのは明白でしたから、ユグノー側も必死です。

      そうしてすったもんだしている内に思わぬ横槍が入ります。

      ポーランドの介入です。


                ◇          ◇          ◇


      なんでいきなりポーランド? と疑問の諸兄もおられるでしょうから解説しますと。

      実はサン・バルテルミの虐殺に先立つこと1月前。

      ポーランド王ジグムント2世が嫡子なくして逝去し、ポーランド議会が新国王擁立に動いていたのです。

      神聖ローマ・スウェーデン。ロシア等から候補者が選出され、フランスからもアンジュー公アンリがエントリーしていました。

      そして1573年5月にアンジュー公が玉座を射止め・・・・・・

      ぶっちゃけた話、前線司令官が軍を指揮するどころではなくなってしまったのです。


                ◇          ◇          ◇


      そんなこんなでブローニュ勅令が急遽認められ、1573年7月に発布して第4次ユグノー戦争は終了しました。

      急ごしらえの所為か条鋼は微妙になおざりで、ユグノーの赦免くらいが目玉の正直やっつけ感の漂うものでした。

      だからと言う訳でもないでしょうが・・・・・・

      半年もしない内に、またしても戦乱がやってくるのです。
    • No:519 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part514 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2022/10/05 10:52:48 単表示 返信

      虐殺が未だ記憶に新しい1574年2月。

      サン・ジェルマンにてもう何回目か数えるのも億劫になるクーデター未遂事件が起こりました。

      クーデター自体は即行鎮圧されたのですが・・・・・・首謀者らの主張が地味に問題でした。

      彼らユグノーは自らの盟主たるナバラ王アンリとコンデ公アンリの解放を要求しており。

      この当時(強制的とは言え)カトリックに改宗済2名の「救出」を主張してきたところに根深い問題があったのです。


                ◇          ◇          ◇


      端的に言いますと。

      ユグノーの重鎮であるこの二人がカトリックに寝返ったとする離間策は何の効果も上げておらず、未だにユグノーの指導者層であると認識されていると証明されたようなものだからです。

      同時多発的に各地で蜂起したユグノーらの動向もそれを裏付けており、宗教戦争は終わりの見えない底無し沼へと直走っていました。

      そんな中。

      決定的な事件が起こります。

      サン・バルテルミの虐殺からずっと塞ぎ込んでいたシャルル9世が遂に崩御したのです。

      23歳の儚い生涯でした。


                ◇          ◇          ◇


      死去の前日、死の淵にあった国王は最後の仕事として母后カトリーヌを摂政に任命したといいます。

      ・・・・・・が。

      敬愛するコリニー提督の事実上の殺害指令を出してしまって鬱状態にあったシャルル9世に、そんな気力があった気は正直しませんわね。

      例によって自分の都合のいいように流布したのでは? とわたくしは思っていますが・・・・・・

      真相は歴史の藪の中ですわね。


                ◇          ◇          ◇


      ともあれ。

      制度上も実務面でも政治的パワーバランスから考えても、国王不在のままでいい訳がありません。

      直ちに次の王を据えなければならないのですが・・・・・・重大な問題が一つ。

      継承権第一位のアンジュー公アンリが既にポーランド王に選出されており。

      フランス国内にいなかったのです。
    • No:520 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part515 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2022/10/12 09:56:46 単表示 返信

      国内にいるいない以前の問題で、そもそも他国の現役王がフランス国王になれるの? と疑問を持たれた其処の貴方。

      実は王の兼任というのは、大して珍しいものではなかったりします。

      中世のみならず現代においても、例えばイギリス女王は英国のみならず英連邦王国14カ国の君主であります。

      何故こんなことになっているかと言いますと・・・・・・

      まさに今回のように継承権上位が他国にいる事態が多発したからです。


                ◇          ◇          ◇


      カトリーヌに限らず欧州王侯貴族は、婚姻によって勢力を増してきました。

      ということは自動的に主だった権力層は軒並み親戚化し、親等で序列化される継承権が国内外にバラ撒かれるのはむしろアタリマエの帰結です。

      まあポーランドの場合は選挙で決まったのでやや特殊ですが・・・・・・

      それでも縁もゆかりもない者は候補に挙げられることもなかったのです。


                ◇          ◇          ◇


      さて。

      そんなこんなでポーランド国王として赴いていたアンジュー公アンリですが・・・・・・ぶっちゃけ歓迎されていませんでした。

      正統王位継承権があるとは言え、所詮は外国人の外様。

      しかもアンリは側近を母国から連れてきたフランス貴族で固め、地元貴族を重用する素振りすら見せませんでした。

      アンリ自身もポーランド体制に不満があり、後にヘンリク条項と呼ばれる権力の制限に署名したものの納得は行ってなかったと言われています。


                ◇          ◇          ◇


      そんなこんなで新国王体制は前途多難と見られていましたが・・・・・・

      多難どころでない事態が発生します。

      シャルル9世の崩御を聞いたアンジュー公アンリが、数日後に夜逃げしたのです。
    • No:521 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part516 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2022/10/19 09:21:36 単表示 返信

      アンジュー公がポーランド王に選出されたのが1573年5月でポーランド入りしたのが1574年1月、夜逃げしたのが同年6月と言われていますから、選出から計算しても1年ちょっとの政権です。

      セミのような政権と呼んで差し支えないですが・・・・・・

      勿論王が存命中に政権が終わるなど前代未聞です。

      ・・・まあ、200年ほど後に他ならぬフランスで国王夜逃げ事件が再発するのですが。

      それはまた別の講釈にて。


                ◇          ◇          ◇


      ちなみに。

      ポーランド王に選出されてからポーランドに来るまで半年程空いてますが・・・・・・

      これはサン・バルテルミの虐殺からこんち結核が悪化する一方のシャルル9世の後釜狙い身を案じて中々フランスを発たなかったからと言われています。

      まあポーランド王としての活動から見て、少しくらいポーランド入りが早まったところで何か変わるとは思えませんが。

      シャルル9世崩御はポーランド王選出からまるっと1年後ですから、粘ったところで意味はなかったのです。


                ◇          ◇          ◇


      ともあれ。

      国王に夜逃げされたポーランドは当然大騒ぎになりました・・・・・・

      なりました

      是が非でも連れ戻そうという気は全くと言っていいほどありませんでした。

      前述のようにポーランド貴族はアンジュー公のやり方に不満しかなかったので、むしろ清々したわと思った貴族が大半だったのです。

      それでも正規手段で選出された国王なので、一応1575年5月12日までの猶予を設け、それまでに戻ってこなければ王位を剥奪する旨通達を出しました。

      出しっぱなしで特に催促もしなかったらしいので、文字通り形だけーのポーズでした。

      当然の如くアンジュー公はガン無視したので期限オーバーで王位失効が宣言されましたが、当人は死ぬまでポーランド王を名乗っていたそうです。


                ◇          ◇          ◇


      さて。

      フランスに舞い戻って早々アンジュー公アンリは戴冠式を行い、フランス王アンリ3世となりました。

      国内は宗教対立が激化の一途を辿っており、これをどうにかすることが喫緊の課題でした。

      しかもただでさえ出口の見えない問題に、身内から火に油を注ぐ者まで出てきます。

      エルキュール・フランソワ・ド・フランス。

      アランソン公フランソワとも呼ばれるカトリーヌ最後の息子です。
    • No:522 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part517 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2022/10/26 09:42:00 単表示 返信

      フランソワは末っ子にありがちな甘ったれであったらしく、大分放蕩なことをやっていたみたいです。

      ただこういうガキ大将気質は取り巻きを呼ぶもの。

      シャルル9世存命の頃からやんちゃなユグノー貴族が周辺に侍っていたようです。

      それはアンリ3世が即位してからも変わらずと言いますか激化して行き。

      1575年9月には宮廷から脱走してポリティークと呼ばれる不満派の頭目となって現政権に反旗を翻すのです。


                ◇          ◇          ◇


      先の歴史的虐殺サン・バルテルミの惨劇は、革命思想の萌芽である暴君放伐論の他に新たな議論と概念を呼び起こしました。

      暴君放伐論がプロテスタントの革新理論武装なら、ポリティークはカトリック穏健派の保守理論武装です。

      最初に理論化したのは経済学者にして法学者、そして弁護士ジャン・ボダンとされています。


                ◇          ◇          ◇


      ポリティークは歴史上初めて国家主権という概念を定めました。

      封建制国家の王というものは、あくまで「地主のボス」に過ぎませんでした。

      なので国王の権限は言うほど大きくなかったのです。

      しかしポリティークは地主或いは貴族を無視し、「国王と国民」の2層に単純化しました。

      「家に家長が一人であるように、国家に王はただ一人」という訳です。

      ちなみに。

      家長(国王)はどのように決めるかと言いますと、ボダンは著書「国家論六編」で殴り合いで決めろ等と供述しています。

      まあ現実的と言えばそうかも知れませんが。

      法学者ならもうちょっと知性ある方法提唱して頂きたいものですわね。


                ◇          ◇          ◇


      まあもっとも。

      このジャン・ボダン、異端審問官としても有名ですので。

      悪名高い「悪魔憑き」はこの狂信者が著したものです。

      長らく魔女狩りのバイブルとして用いられ、無実の犠牲者がどのくらいの数に登るかもはや知るすべもありません。

      経済においても国家体制にしても近代的理論の先駆けとなった人物ですが・・・・・・

      個人的な善悪としては明白にギルティと思いますわええ。
    • No:523 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part518 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2022/11/02 09:39:04 単表示 返信

      ところで。

      若い頃ユグノー貴族の取り巻き引き連れてブイブイ言わせてたアンジュー公が何故にカトリック不満派の頭目になぞ祭り上げられたかと言いますと。

      どうもアンジュー公フランソワ、宗教的主張はどうでもいい派だったようで。

      要するに自分を疎む母と兄弟に嫌がらせする以上のことは考えてなかったぽいのです。

      迷惑系甘ったれも極まれリですが・・・・・・

      カトリーヌは特にひとつ上の兄アンリ3世を溺愛してたらしいので。

      彼だけが悪いとも言い切れない部分はあります。


                ◇          ◇          ◇


      ついでに不満派はカトリックの専売特許という訳でもなく、例えばラングドック地方総督モンモランシー=ダンヴィルは1574年11月にプロテスタント派に寝返っています。

      と言う訳でフランソワ首魁の反宮廷派は無視できない勢力に膨れ上がり、更にはプファルツ=ツヴァイブリュッケン公ヨハン1世もシャンパーニュに侵攻し王家に敵対する動きを見せ。

      代替わりしたばかりの国王軍は圧倒的不利と見られるようになりました。

      今正面衝突するのはあまりに危険と判断したアンリ3世は、王弟フランソワと交渉の席を設けることになります。


                ◇          ◇          ◇


      現在の情勢をよく理解していたフランソワは、それはもうかさにかかってきたと言います。

      結局アンリ3世とカトリーヌは、ほとんどフランソワの言いなりのボーリュー勅令を発せざるを得ませんでした。

      王家側の腰砕けはダダ漏れだったようで、この和議協定は「王弟殿下の和議(paix de Monsieur)」と呼ばれるようになります。

      この勝利こそフランソワが長年求めてやまなかったものであり。

      彼のさして長くない生涯で最高に輝いた頂点でありました。


                ◇          ◇          ◇


      ちなみに王家にとって泣きっ面に蜂なことに、サン・バルテルミの虐殺時に捕縛して王宮の隅に押し込めていた元プロテスタントの盟主ナバラ王アンリと腹心コンデ公アンリも時を前後して脱走。

      強制的に改宗させていたカトリックからプロテスタントに復帰し、ユグノーの盟主として活動を再開しました。

      やはり殺っておけばよかったと後悔しても後の祭り。

      もっとも後のアンリ4世としての治世を考えると、虐殺時に殺されていたらその後のフランスはもっと酷いことになっていた可能性もあります。

      全く、歴史は何がよく働くかわかったもんではありませんわね。
    • No:524 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part519 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2022/11/09 09:49:50 単表示 返信

      さて。

      フランスがプロテスタントの言いなりになるのに我慢できない一派がいます。

      ご存知旧教過激派ギーズ一家です。

      彼らはそのものズバリなネーミングのカトリック同盟を結成し、議会で結託してボーリュー勅令を廃止させます。

      この当時絶対王政は未だ理論武装の途中で、大貴族に結託されると王家は強く出れなかったのです。


                ◇          ◇          ◇


      またもやと言いますかもう何回目かわからない約束の反古を食らったプロテスタント陣営は、当然猛抗議を始めました。

      1576年は三部会が開かれたので其処で舌戦が繰り広げられましたがプロテスタント側は数の暴力に屈し。

      御決まりの武装蜂起を繰り返すこととなります。


                ◇          ◇          ◇


      ちなみに三部会というのは聖職者・貴族・平民の代表が集まって行う会議のことです。

      各代表が一票を持ち、多数決で決定されます。

      元々は1302年にフィリップ4世がローマ教皇ボニファティウス8世を拉致監禁した正当化のために招集されました。

      なんともはやな理由ですが、以後の三部会は概ね税金の設定のために招集されています。

      別に税に関することだけが議題ではないので、このように宗教問題も俎上に上がる訳です。

      もっとも今回ある意味役立たずでしたが。

      国内問題に対処するための会議なのですから、武装蜂起されては意味がないというものです。


                ◇          ◇          ◇


      まぁそうして起きた第6次第7次ユグノー戦争は短命に終わるんですが。

      何故なら前回ユグノーに与したアンジュー公以下不満派が、今度はカトリックについたからです。

      ・・・ほんっっっっっっとうにこの男節操がないと言いますか何処のSRPG黒騎士かと。

      それでもきっちり勝利してしまう辺りムカつきますわええ。
  • No:505 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part500 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2022/06/29 09:47:00 単表示 返信

    まあもっとも。

    コリニー提督も神敵(プロテスタント主観)には残虐非道超人だったらしいので、人格者と言うにはちと憚られるようでしたが。

    ともあれコリニー提督は第三次ユグノー戦争終結により宮廷に復帰。

    ちょっど八十年戦争真っ盛りのネーデルランド改革派(勿論プロテスタント)を支援してスペイン叩くべし等と主張してはカトリーヌ他廷臣にウザがられたりしながら2年程を過ごすことになります。


              ◇          ◇          ◇


    さて。

    コリニー提督宮廷復帰から2年が過ぎた1572年8月24日。

    歴史上悪名高い一つの事件が起こります。

    後の世に言うサン・バルテルミの虐殺。

    宗教戦争を決定的に泥沼化させ、200年にも渡る禍根を残した事件の幕が上がろうとしていたのです。


              ◇          ◇          ◇


    この歴史に残る惨劇を語る前に、コリニー提督の他に数人の重要な登場人物を紹介しなければなりません。

    一人はマルグリット・ド・ヴァロワ。

    またの名を稀代の淫婦或いはフランス史上最大の悪女

    アレクサンドル・デュマ・ベールの小説『王妃マルゴ』の主役その人であり、カトリーヌの三女です。


              ◇          ◇          ◇


    彼女は後の創作ではそれはもうエライ言われようなんですが・・・・・・どうも全くの事実無根ではないようでして。

    少なくとも浮名を流した男達は大体破滅しています。

    もっとも。

    この後直接悲劇に繋がる強引な政略結婚がなければ・・・・・・

    もしかしたら別の歴史があったかも知れません。
    • No:506 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part501 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2022/07/06 09:49:59 単表示 返信

      この王妃マルゴと深い関係(意味深)があり、後の惨劇の重要人物となる人物がもう一人。

      ギーズ公アンリ1世。

      先王フランソワ2世の時代に宮廷を牛耳っていたあのギーズ兄の息子です。


                ◇          ◇          ◇


      彼は父が(コリニー提督に)暗殺された後、虎視耽々と復讐の機会を伺っていました。

      しかし今のギーズ家ははっきり言えば落ちぶれ貴族

      旧教派として国王軍側について戦場には出ていましたが、これまで首級を窺える位置には終ぞ恵まれませんでした。

      そんな熏っているギーズ家に、ある日悪魔の囁きが届けられるのです。


                ◇          ◇          ◇


      その悪魔に傾倒していた何処ぞの王母について語る前に、もう一人二人重要人物を紹介しましょう。

      一人はジャンヌ・ダルブレ。

      現ナバラ女王であり、暗殺された先代ギーズ公プロテスタント版とも言うべき、ガチガチのユグノーです。


                ◇          ◇          ◇


      彼女はこれまでのユグノー戦争でもプロテスタントの盟主として君臨し、ただのクーデターで終わらせない権力的な後ろ楯として機能してきました。

      当然カトリーヌにとっては目の上のたんこぶどころか癌細胞と言って過言ではありません。

      しかし度重なる武力闘争で事実上ユグノーに屈してきたとあっては、方向転換をせざるを得ません。

      そこでカトリーヌは、メディチ家伝統の方策を取ることにします。

      即ち、政略結婚です。
    • No:507 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part502 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2022/07/13 10:13:57 単表示 返信

      しかもただの政略結婚ではありません。

      プロテスタントの名目上の首魁、ジャンヌ・ダルブレの息子アンリとカトリックの守護者カトリーヌの三女マルグリットとの政略結婚。

      文字通りついこの間までお互いを不倶戴天の仇敵と罵り、虐殺を繰り返してきた同士が明日から俺達はファミリィだ!と肩を組め、と言っているのです。

      いくら昨日の敵は今日の友、利益が合致するなら喜んで仮面を被る貴族としても物には限度というものがありました。


                ◇          ◇          ◇


      そもそもの話。

      旧教vs新教の血で血を洗う戦いは大規模衝突(ユグノー戦争)だけ数えても三回目が終わったばかりです。

      しかも旧教(国王陣営)がかなり足元見られた和平()条約を結んだ直後に「これから仲良くしましょ」等と猫撫で声出されてもサブイボ立つだけと言うもの。

      実際婚約の段取りしたいから宮廷に出てこいと圧力をかけるカトリーヌにジャンヌは最初鼻で笑ったと伝えられています。

      誰がどう見たって仇敵の首級狙いの罠に決まってますからね。

      誰だって断ります わたくしだって断ります。

      何なら氷水でも送り付けてこれで都合いい夢から覚めなさいなとでも言ってやりますわええ。


                ◇          ◇          ◇


      しかし結局、紆余曲折と貴族流の迂遠な罵倒合戦の果てに。

      ジャンヌは息子と王妃マルゴとの結婚を了承してしまいます。

      宗教対立はもう10年を数えようとしており、新旧融合和解の象徴となるべきという正義のタテマエに抗いきれなかったのです。

      現代の後知恵で考えても、他の選択肢が取れたかというと難しいところではあります。

      ただまあ・・・・・・

      他に選択肢がない状況というものは、往々にして詰んでると同義です。

      残った選択肢が最悪であっても、其処に向かうしかないのは悲劇でありましょう。


                ◇          ◇          ◇


      さて。

      政略結婚の当事者たるジャンヌの息子アンリですが、この人も中々どうして波乱の人生を送っています。

      といいますかここからが波乱の本番です。

      ただまあ、なんだかんだでこの時代で50代まで生き長らえたのですから割と豪運な人とは思います。

      周囲がバタバタ死んでいきますから特に。
    • No:508 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part503 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2022/07/20 09:22:59 単表示 返信

      ともあれ。

      左手を差し出してる裏で右手にメイス持ってるような状況下、どうにかアンリとマルゴの縁談が纏まるかに見えた矢先。

      えらいスキャンダルが発覚します。

      何処の悪役令嬢かな浮き名を流していたマルグリットに『本命』がいたのです。

      そのお相手の名はギーズ公アンリ1世。

      この直後に控えるサン・バルテルミの虐殺の主要人物です。


                ◇          ◇          ◇


      そもそもギーズ家と言えば、このクソめんどくさい宗教戦争の引き金をトリガーハッピー気味に引いた張本人であり。

      カトリーヌにとっては人が夫を亡くして悲しみに暮れてる時に権力掠め取った怨敵でもあります。

      現王になってようやっと片付いたと思ったらまた出てきやがったのかと考えても不思議はありません。

      ギーズ家は未だに旧教勢力に影響力を保持しており、さっさとこの下らない内紛終わらせたいカトリーヌにとってはあらゆる意味でありえない嫁がせ先だったのです。


                ◇          ◇          ◇


      なので。

      マルグリットの熱愛発覚した時のカトリーヌの剣幕はそれこそ悪魔憑きと呼んでも不足ないものだったようでして。

      寝室から文字通り引きずり出すと、殴る蹴るの暴行に加えて髪持って振り回して引っこ抜いたと伝えられています。

      もう童話の継母並の所業ですが、これで正真正銘実の娘というのがあらゆる意味で救われませんわ。


                ◇          ◇          ◇


      ・・・・・・まあ。

      これがお話でしたら駆け落ちでも何でもするところだったのでしょうが。

      結局マルグリットは、後の異名の通り王妃マルゴとなり。

      1572年8月18日にノートルダム聖堂で盛大に挙式されます。

      ・・・まあ新郎が何故か式場の外にいたり、新婦が不貞腐れて定番の「誓いますか」にそっぽ向いた挙げ句に兄の国王から首根っこ引っ掴まれて強制的に頷かされたりしましたが。

      正式に結婚が成立したことには変わりませんわ、ええ。

    • No:509 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part504 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2022/07/27 09:31:33 単表示 返信

      さて。

      ともあれ役者は揃いました。

      アレな結婚式から4日が経った1572年8月22日。

      遂にカトリックとプロテスタントの間に決定的な断絶を起こす一連の事件が始まります。

      1世紀にも渡って欧州に影を落とす宗教戦争の転換点。

      サン・バルテルミの虐殺が幕開けるのです──────


                ◇          ◇          ◇


      運命のその日。

      未だ続く結婚祝賀会の帰り道。

      ほろ酔い気分で数名の護衛のみを連れて宿に引き返す途中のコリニー提督の耳朶と肘を銃声が叩きました。

      取り巻きは色めきだって犯人を探し、すぐに近くの窓から煙をたなびかせている火縄銃を発見しました。

      すぐさま乗り込むも犯人の姿はなく。

      ひとまず倒れ込んでうめき声を上げるコリニー提督の治療を優先し、近くの宿舎へと運び込んでいったのです。


                ◇          ◇          ◇


      不幸中の幸い・・・・・・と言えるかはこの後の展開を考えると微妙ですが。

      銃弾は急所を外れており、コリニー提督は一命を取り止めました。

      急報を受けたシャルル9世はすぐさまコリニー提督の横たわる宿舎に自ら赴くと、病床の彼の手を取って涙ながらに「犯人には必ず報いをくれてやる」と誓ったそうです。

      ちなみにカトリーヌも同席していましたが・・・・・・

      彼女は終始能面の無表情を被り、内心を決して漏らしませんでした。

      そして狙撃現場から馬の足跡がギーズ家に続いていたという捜査員からの報告を受けても、何のリアクションも起こさなかったのです。


                ◇          ◇          ◇


      この反応の薄さと、コリニー提督が死んで誰が一番得するか? を合わせて考えた時・・・・・・

      黒幕第一容疑者は、間違いなくカトリーヌでしょう。

      しかし彼女は狡猾で、言葉巧みに焚き付けても決して物証を残すような真似はしませんでした。

      こころは権謀術数で伸し上がったメディチ家の面目躍如と言ったところでしょうか。

      だがしかし。

      策士を標榜するものは往々にして策に溺れるもの。

      この後事態は、誰にも制御できない暴走へと突き進んでいくのです。
    • No:510 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part505 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2022/08/03 13:03:52 単表示 返信

      まず前提として。

      コリニー提督以下ユグノー貴族らは、結婚式参列のため自嶺軍を率いてパリに来ています。

      これ自体は当時普通のことで、むしろ少数の護衛だけで来る方が恥とされる風潮がありました。

      ましてや先立っての戦争は上層部がある意味勝手に手打ちにしたもの。

      真の意味での和解などとは程遠かったのです。


                ◇          ◇          ◇


      そんな情勢への不安もあってか。

      コリニー提督軍だけでも4000を数える陣容がパリ郊外に屯していました。

      勿論カトリック貴族も集結していましたが・・・・・・何しろここは本拠地も本拠地、花の首都パリです。

      もしこの場で戦争が再発でもしたら、著しく不利なことは否めません。

      ユグノー陣営は目と鼻の先どころか喉に剣先が食い込んでいるような状態です。

      市民の避難など間に合う訳がありません。

      そう。

      既に導火線は極限まで短くされ。

      後は爆発を待つばかりになっていたのです。


                ◇          ◇          ◇


      それにパリという街自体がフランスの旧教総本山のようなところもあります。

      元々プロテスタントはドイツに端を発したキリスト教一派です。

      歴史的に長年ドンパチやってきた因縁の相手であり、主要構成民族もラテン系とゲルマン系で違います。

      ドイツがどんどん新教にかぶれ染まっていく中、対抗心もあったかと思われます。

      そんな訳で。

      大多数のパリ市民はプロテスタントをよく思っておらず。

      コリニー提督暗殺未遂を機に、ユグノー軍がパリに雪崩込んで皆殺しにされるのではないかと恐怖で眠れない夜を過ごしていたのです。


                ◇          ◇          ◇


      ちなみに。

      治安を担うパリ総督モンモランシー公フランソワは結婚式の直後にパリから遁走しています。

      中々の危機察知能力ですが・・・・・・仮にも責任者が真っ先に逃げ出すというのはどうかと思いますわよ?

      なんだかんだで殺害されずにベッドで死を迎えたところを見ると、生存能力は本物だったんでしょうけど。

      生物としては優秀でも、上には据えたくない人材ですわね。
    • No:511 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part506 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2022/08/10 20:24:20 単表示 返信

      さて。

      一夜明けて1572年8月23日、カトリーヌは愛する息子シャルル9世の元を訪れます。

      昔結核を患って以来病弱なままの弱気王は、案の定ひどく落ち込んでいました。

      しかし母后は容赦なくあるリストを目の前に広げます。

      24人とも36人とも言われるそれは──────

      コリニー提督暗殺未遂事件の報復としてパリ占領を企むとされた、結婚式に参列していたユグノー貴族の粛清リストだったのです。


                ◇          ◇          ◇


      当然の如くシャルル9世は渋りました。

      今更言うまでもないことですがコリニー提督はプロテスタントの事実上の盟主であり、ユグノー貴族らは彼の仲間です。

      彼らを粛清するということは父と呼ぶコリニー提督への真っ向からの反逆です。いやまあ仮にも権力の頂点たる国王が反逆等というのもおかしな話ではあるのですが。

      政務のほとんどをカトリーヌに取られ、長年操り人形と化していたシャルル9世の情緒が発達してなくても致し方ないかも知れません。

      いい歳して稚気の抜けきらない王もまた、この惨劇を構成する役割を担ったのです。


                ◇          ◇          ◇


      そんな王に、母カトリーヌはあらゆる手段を用いて説得を仕掛けます。

      最初は「新教徒は外患である」路線で攻めたといいます。

      実際過去3度の戦役においてユグノー軍はイングランド女王エリザベスの支援を受けており、イングランド軍がル・アーブル他幾つかの都市を占領したことすらあります。

      この脅威は客観的に見ても正しく、説得材料として十分と思われたのですが・・・・・・

      シャルル9世は、これをもってユグノー粛清命令を承諾することはなかったのです。


                ◇          ◇          ◇


      勿論コリニー提督への個人的感情があったことは想像に難くありません。

      しかし現時点においてフランス領土内にイングランド兵の影はなく。

      些か暴論ではありますが「イングランド恐るに足らず」という主張にもある程度の根拠があると言わざるを得ません。

      イングランド以外の因縁の国々もフランス以外の相手で忙しく・・・・・・

      この時点に限っては、外患は言うほど脅威ではなかったのです。
    • No:512 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part507 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2022/08/17 09:27:13 単表示 返信

      まあ実際問題。

      父と呼ぶコリニー提督を害した犯人を総力を上げて探し出し、報いをくれてやると意気込んでいるところにその被害者の身内(ユグノー)を粛清しろとかおまえは何を言っているんだ案件でありました。

      こんなどうでもいいことをうだうだ言ってる暇があったら、その足で犯人探してこいと考えて何ら不思議はありません。

      一方。

      母后カトリーヌとしては一刻も早くユグノー(コリニー提督含む)を排除しなければならない理由がありました。

      それは数刻前。

      カトリーヌが昼食を取っていた時間まで遡ります。


                ◇          ◇          ◇


      いつもの場所でランチしていた母后は、乱入にも等しい暴挙で乗り込んできたユグノー貴族らと相対します。

      血気盛んな彼らの言い分を簡潔に纒めるとコリニー提督襲撃犯を即刻つるし首にしろでした。

      まあ捕まればそうなるでしょうが、この時点では犯人の目星もついてない状態です。

      常識が欠片でもあればそのくらい分かりそうなものでしたが・・・・・・

      彼ら的にはどうも、宮廷が暗殺指令出したと思い込んでいる様子だったのです。


                ◇          ◇          ◇


      黒幕が王族なら、なんやかんや理由をつけて犯人無罪放免は有り得る話でした。

      しかし繰り返しますが、この時点では犯人の顔も名前も分かっていない段階です。

      来るなら実際に放免された後に来るべきで、目星もついてない今押し掛けてくるのは早漏にも程があるというもの。

      ただでさえ会食は政治的な意味を持ちます。

      アポ無しで押し入ってくるなど無礼討ちされても文句は言えない蛮行です。

      塩対応で済んだだけ有り難く思えと言ったところです。


                ◇          ◇          ◇


      しかし怖いもの知らず向こう見ずの若気の至り逹は、ここで言ってはならないことを言ってしまいます。

      「お前らが犯人を庇い立てするなら、パリを焼き払ってでも報いをくれてやるぞ」と。

      この稚拙な『脅迫』によって、カトリーヌは危機感と共に粛清の絶好の口実を得てしまったのです。
    • No:513 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part508 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2022/08/24 17:13:24 単表示 返信

      本来はプロテスタントに寛容(というかどうでもいい)スタンスだったカトリーヌも、第二次ユグノー戦争の導火線となったモーの奇襲からすっかりアンチになってしまっていました。

      割とお馴染になったヴェネツィア大使に「ユグノーに期待できるのは欺瞞だけ」とか愚痴ってたくらいです。

      直近の第三次ユグノー戦争では煮え湯を飲まされたと言っても過言ではありません。

      まあそんな状況だからこそ嵩に懸かってたと言いますかぶっちゃけ調子に乗ってたきらいはあります。

      当時でも見るものが見れば阿呆かこいつら案件と思われますが・・・・・・

      諫める暇もなかったのが歴史の悲劇というものでしょう。


                ◇          ◇          ◇


      まあそういう訳で。

      ノータリンの戯れ言だろうとは頭の片隅で思っていても、実際ユグノーは度々軽挙妄動繰り返していましたのでやらないとは言い切れません。

      それに、ピンチこそチャンスではありませんが・・・・・・

      コリニー提督の他にもユグノー軍有力貴族が相当数集まっている今、奇襲を仕掛けるまたとない機会でありました。

      それこそ、ここを逃せば二度と無いくらいには。


                ◇          ◇          ◇


      そんなこんなで、カトリーヌとしては是が非でも愛する息子に首を縦に振らせなければなりませんでした。

      泣き落とし脅迫何でもありで説得しても芳しい反応寄越さないシャルル9世に・・・・・・

      カトリーヌは遂に、諸刃の宝剣を抜いたのです。


                ◇          ◇          ◇


      いよいよ業を煮やしたカトリーヌは、その後の政治的悪影響を知りつつ叱責しました。

      「息子よ、貴方がそうやってぐずぐずしてたらギーズ公がカトリック陣営纏め上げてユグノー粛清に向かいますよ!
       そうなったらどうなるか!
       パリの民はこぞってギーズ公を持て囃し、私達王家は見捨てられるでしょう!
       私達は宮殿を追い出され、ギーズ公が堂々と玉座に座るでしょう!
       貴方はそれでいいのですか!」

      それを聞いた当代フランス国王は懊悩し、煩悶し・・・・・・

      唐突に立ち上がって叫ぶのです。

      「そうだ皆殺しだ! 皆殺しにしろ!!」

      と。

      これこそが史上屈指の惨劇の狼煙。

      サン・バルテルミーの虐殺が今、幕開けたのです──────!!
    • No:514 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part509 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2022/08/31 09:31:54 単表示 返信

      明けて1572年8月24日。

      前日深夜から日が変わった頃に、パリ市政当局が密かに招集されました。

      彼らに与えられた任務は───パリの門をすべて閉ざし、プロテスタント首脳陣を袋の鼠にすること。

      更に市民に武装令を出し、ユグノーの報復に備えさせました。

      ・・・この命がなければ、犠牲者はもうちょっと少なかったと考えるのは後世の傲慢でしょうかね?

      もっとも、この時のパリ市民はコリニー提督暗殺未遂の報復を恐れていましたから・・・・・・

      結局は同じことだったかも知れません。


                ◇          ◇          ◇


      そして8月24日未明。

      手負いのコリニー提督が安静にしている宿の前にギーズ一派が集結していました。

      彼らが「宮廷からの使者である」と名乗ると、見張りの手兵は何の疑いもなく襲撃者達を中に招き入れました。

      ・・・まあ、ギリ嘘は言ってません。

      彼らは錦の御旗ならぬ正式な命令を受けていたのですから。

      そして。

      マヌケにも殺戮者を入れてしまったコリニー提督の部下達は、提督諸共文字通り血祭りに上げられたのです──────


                ◇          ◇          ◇


      重症で深い眠りに落ちていたコリニー提督は、賊に気付くことなく一瞬で首を狩られました。

      胴体は窓から投げ棄てられ、首級は戦果として持去られました。

      道端に打ち捨てられた遺体は暴徒と化したパリ市民に市中引き回しの上八つ裂き、川に投げ込んだ後引き上げて絞首台に吊るして焼き討ちしたと伝えられます。

      ・・・・・・もう何と言いますか。

      お前らの血は何色だと問い詰めたくなりますわ。

      まあ市民と言いつつギーズ一派が混じっている気はすごくしますが。

      それにしても誰か止めなかったんでしょうか。

      これで死後天国に行けると本気で信じてたんでしょうか。

      正直言って、想像の埒外ですわ。


                ◇          ◇          ◇


      しかし。

      この惨たらしさすら、この歴史的大虐殺の序章でしかありませんでした。

      この地上の地獄は5日間にも及び、少なくとも2千人にも及ぶ死者が出ました。

      重軽傷者は恐らく計測不能です。

      そして血に餓えた信徒共はパリだけに飽き足らず、全土に殺戮の嵐を撒き散らしていくのです。
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