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No:555 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part550 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/06/14 09:26:53 単表示 返信

まあもっとも。

変態ロリコン愚弟の事件がトドメになったことは事実ではありますが・・・・・・

このサマセット公エドワード・シーモア、ぶっちゃけ摂政就任からこんちずっとやらかしまくっていました。

スコットランド侵攻からしてケチが憑きまくってましたが・・・・・・

その後始末がまた、良くなかったのです。


          ◇          ◇          ◇


そもそも論として。

エドワード6世と婚約させようとした赤子メアリーの母メアリー・オブ・ギーズはその名の通りフランスを幾度も牛耳ったギーズ家の一族です。

彼女自身は大変公正であったと伝えられていますが・・・・・・ぶっちゃけ当時スコットランド王ジェームズ5世は大分アレだった上のスコットランド宮廷は腐臭が漂っていました。

まあ要するに。

彼女がスコットランドにいるのはただの義務のようなもので、愛着なんて大してなかったのです。


          ◇          ◇          ◇


元から足元不安の上、外敵(イングランド)が愛する娘を略奪しに来るとなれば、そりゃあ故郷に避難させるというものです。

自身は責任感から残ったのですが・・・・・・

ぶっちゃけ誰も幸せになりませんでしたわね。


          ◇          ◇          ◇


何が悪かったかと言えば。

狂信的差別主義者に理と言葉が通じると考えたことでしょうか。

あいつらマジで人の話聞きゃしませんからね。

ギーズ家の弟達はその辺よく判っていて何度も姉に進言したらしいのですが・・・・・・

終ぞ聞き入れられることはなかった、と伝えられています。
  • No:556 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part551 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/06/21 09:27:46 単表示 返信

    ともあれ。

    エドワード・シーモアの対スコットランド強攻策は大失敗に終わり、辛うじてフランス軍を押し返すことには成功したものの無用な軍事行動は国庫を圧迫し、直轄領の売却やら貨幣改鋳やらの窮余の金策を余儀なくされました。

    特に貨幣改鋳は地味にヘンリー8世時代から続いており、シーモア時代も合わせて大悪改鋳と呼ばれます。

    これは隠れた爆弾として、エリザベス1世の胃と頭を痛めることになるのです。


              ◇          ◇          ◇


    そもそも何故改鋳が問題になるかと言いますと。

    当時の通貨は「通貨そのものに含まれる貴金属量」によって価値が決まっていました。

    乱暴な言い方をすると「この通貨は幾らで売れるか?」=「金銀グラムあたり何セントか」x「その通貨の含有量」ということです。

    そしていちいち重量計っていたら商取引滞ること夥しいので、国が「この通貨は金銀がンg含まれている」と『保証』することで計算を簡易にしているのです。

    この手の通貨自体が価値を持っているものを完全通貨と呼びますが・・・・・・

    実体としては額面価値と実際の貴金属価値が一致していることはありませんでした。


              ◇          ◇          ◇


    何故かと言いますと。

    先程も述べましたが通貨の価値は含有貴金属量で決まります。

    貴金属塊そのものを使わないのは、いちいち計量が面倒だからで・・・・・・

    まぁぶっちゃけた話。

    バレない程度に通貨削って貴金属ちょろまかす輩が続出したのです。


              ◇          ◇          ◇


    タテマエ上は「この通貨にはnグラムの金銀が含まれてるからmセント」となっている訳ですから、バレなければmセントとして扱われます。

    そしてちまちま削った分は後で纏めて売っ払って丸儲けと言う訳です。

    これがあんまりにも横行した所為で現代の硬貨の金属的価値は全て額面の数分の一以下になっています。

    まあアタリマエですわね。

    しかしそれは金本位制が崩壊した後になりますから、この時点では遙か未来の話となります。
  • No:557 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part552 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/06/28 09:28:21 単表示 返信

    まあ要するに。

    悪改鋳は国家にとっては文字通りの打ち出の小槌な訳ですが・・・・・・

    市場にとってはただただインフレを起こす要因でしかありません。

    インフレが起これば当然国民は困窮する訳でして。

    結果として各地で反乱が頻発することになります。


              ◇          ◇          ◇


    ただまあ百害あって一利なしかと言えばそうとも言い切れない部分もありました。

    当時のイングランドは羊毛産業が著しく発展してきており、それを使った毛織物が輸出の主力として国庫を潤し始めていました。

    国内通貨が悪改鋳により価値下落してポンド安になると、外貨が相対高となって輸出業を後押ししたのです。

    しかしこの現象も劇烈な副作用を熾しました。

    領主・地主らの強制的農地転用。

    後に言う第一次エンクロージャー(囲い込み)がそれです。


              ◇          ◇          ◇


    当時のイングランド農地は三圃制と言って、春耕地・秋耕地・休耕地でローテーションする輪作制を取っていました。

    ここで問題になるのが休耕地で、1年だけ牧草地として土地を富ませる用途に使っていたのですが・・・・・・

    羊毛が儲かると欲の皮突っ張らかった地主により、「この土地は羊牧場専用! 農民は出てけ!」と横暴かましたのです。


              ◇          ◇          ◇


    解雇された元農民は流民と化し、多くの農村が廃虚になりました。

    アタリマエですが治安と生産は大いに悪化し、各地は反乱の火薬庫と化しました。

    一応ヘンリー8世もエドワード・シーモアも問題視はしていて何度もエンクロージャー禁止を言い渡してはいたのですが・・・・・・

    欲に目がくらんだ愚か者共は聞く耳持たなかったのです。

  • No:558 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part553 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/07/05 09:29:56 単表示 返信

    エドワード・シーモア的には欲ボケ地主なんぞよりも国民(農民)の困窮の方が大問題と見なしてたようで。

    一揆が起きても「勝手に締め出した貴様ら(地主)が悪い」という態度で、鎮圧軍を差し向けようとはしませんでした。

    当然地主(=貴族)は不満が溜まる訳でして・・・・・・

    遂には勝手に出撃して反乱の首斬りに出ます。

    とりわけ激烈な処理をしたのが枢密顧問官ウォリック伯ジョン・ダドリーという男です。


              ◇          ◇          ◇


    初代ノーサンバランド公ともライル子爵とも呼ばれる彼は、ヘンリー8世時代に台頭した新教派です。

    ヘンリー8世4番目の王妃アン・オブ・クレーヴスの主馬頭を勤めたこともあります。

    主馬頭(Master of Horse)とは御馬番と呼ばれる厩舎で働く者達の長で、馬や猟犬等の管理者です。

    「なんだペットの世話役かよ」と思った其処の貴方?

    それは些か見識に欠けるというものですわ。


              ◇          ◇          ◇


    そもそもこの時代の家畜は「一財産」です。

    今でも牛馬一頭でも買えば7桁から9桁のお金が吹っ飛びますが・・・・・・

    この時代の貴族の馬は、冗談で無しに兵士より価値があったのです。


              ◇          ◇          ◇


    馬という生物はとにもかくにもとんでもなくコストが掛かります。

    当時の種類は今程大型ではなかったらしいですが、中間種であっても一日あたりおよそ10kgの飼葉を必要とします。

    更に水も25リットルを必要とし、行軍の際は荷車の大半が馬の餌で埋まります。

    冗談に聞こえるかも知れませんが、これは歴史的資料が幾らでも残ってますので各自確認なさるとよろしいでしょう。
  • No:559 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part554 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/07/12 09:39:00 単表示 返信

    そういう訳ですので、主馬頭とは行軍する必要が出た場合なくてはならないポジションなのです。

    輜重計画には必ず噛みますからね。

    仕事が地味なので創作ではあまり出てこない職ですが・・・・・・

    実は腹心が勤めるものなのです。


              ◇          ◇          ◇


    その主馬頭、しかも王妃のを勤めたとなれば、宮廷での発言力は決して無視できないものとなります。

    それから程なくして枢密顧問官にも就任し、ライル子爵は着実に地盤を固めていきます。

    下半身王も寄る年波には勝てず死が見えてきた頃、子爵は囁かれるようになったとなる噂を耳にします。

    「王太子エドワード6世の成人まで王は持たないようだ。王は枢密院に政治を任せるおつもりである」と。


              ◇          ◇          ◇


    いよいよ我が栄光の頂点がやってくるか、とほくそ笑んでいたライル卿の皮算用はエドワード・シーモアの強攻策によって打ち砕かれました。

    そういう怨恨によって、ライル卿はエドワード・シーモアの足を引っ張る隙を虎視眈々と狙っていたのです。

    つまりエンクロージャー一揆に甘い顔をして地主貴族をないがしろにしている今は絶好の狩り場という訳です。


              ◇          ◇          ◇


    元々宮廷貴族の出で領地(&農民)に大して思い入れもなかったライル卿は、無慈悲にさくっと一揆の首謀者を処刑しました。

    民の困窮など知ったこっちゃないと言わんばかりですが、事実上流階級は羊毛でウハウハできればそれで良かったのでライル卿だけが特段クズでもありませんでした。

    まあクズはクズですけど。

    もっともこの時点では一揆も散発的なもので、黄色いスカーフ巻いて際限なく肥大化するようなこともなかったので舐められても止む無しだったかも知れません。

    まあそうなったらなったで国力衰退一直線ですから、いいとも悪いとも言えませんわね。
  • No:560 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part555 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/07/19 09:28:12 単表示 返信

    さて。

    王位継承時、エドワード・シーモアに漁夫の利掻っさらわれたと恨み辛み欲ボケ拗らせていたのは何もライル卿だけではありません。

    他の枢密顧問官も大概でした。

    なので一揆に対して甘い顔してたエドワード・シーモアの責任を徹底的に追求し、遂には枢密院で査問にかけることまで漕ぎ着けます。


              ◇          ◇          ◇


    サマセット公まで上り詰めたエドワード・シーモアとて座して死を待っていた訳ではありません。

    布告を出し、国民(農民)に寄り添う自分こそがイングランドの舵取りを担うに相応しいと訟えかけます。

    しかし。

    国民からの反応は微妙であったと伝えられています。


              ◇          ◇          ◇


    まあぶっちゃけた話。

    外交ではスコットランド女王メアリーとエドワード6世の見合いを無理押ししてフランスの介入を招き。

    戦費だけかかって何の成果も得られませんでしたァ!した挙句の果てに悪改鋳でインフレを招き。

    内政ではエンクロージャーによる小作農締め出しに紙ペラ一枚の布告状出すだーけーの口先野郎と来ては何故支持が集まると思ったと言われても致し方ないのではありませんかね。

    政治は結果が全て。

    国民からしてみれば寝言ほざいてる暇あったらとっとと救済実行しろでしょうよ。


              ◇          ◇          ◇


    広報工作が失敗したと悟ったサマセット公は次に貿易商出身の叩き上げ武官ジョン・ラッセル男爵に協力を求めました。

    彼は枢密顧問官でもあり、男爵ではありますが幾つもの荘園を保有する有力貴族でした。

    枢密院も彼の意向は無視できないだろう──────

    エドワード・シーモアの目論見は決して荒唐無稽ではなかったのですが。

    彼の思惑は実を結ぶことはなかったのです。
  • No:561 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part556 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/07/26 09:48:48 単表示 返信

    この時ラッセル男爵は折り悪く西部で発生した旧教の叛乱鎮圧に出向いていました。

    ・・・今『折り悪く』と言いましたが。

    実を言うとこの叛乱、ほぼエドワード・シーモアの自業自得であったのです。


              ◇          ◇          ◇


    サマセット公が新教での覇権を狙っていたのは軽く触れましたが・・・・・・

    特にこの時期は法整備が本格化してイングランドをプロテスタントの国にしよう! という野望を隠さなくなってきていました。

    この1549年には礼拝統一法を制定し、これに沿わない教会は軒並み摘発されていきます。

    政治屋の仕事らしく旧教様式でも合法ぽく書いてはありましたが・・・・・・

    見る者が見れば意図は明明白白だったのです。


              ◇          ◇          ◇


    そんな訳で。

    西部で発生した叛乱は大規模なもので、中央からの戦力派遣は必須でした。

    だからこそ実績十分のラッセル男爵に白羽の矢が立った訳です。

    ちなみにこの叛乱はエンクロージャー一揆の1ヶ月前です。

    更に言うとロリコン弟トマス・シーモアがやらかしたのが同年3月なので一揆の4ヶ月前。

    実に逆風の年だったと言えましょう。

    ・・・・・・そう言えば海外にも厄年とかあるんですかね?

    どうでもいいと言えばどうでもいいですが。


              ◇          ◇          ◇


    と言いますか。

    エドワード・シーモアがこんな簡単に追い詰められたのはぶっちゃけ典型的外戚政治で味方がいなかったのが原因です。

    前王の遺言無視して簒奪同然に摂政就任したのも後に自分の首を絞めました。

    まあ下半身王が色々やらかした所為で内政に火種を抱えていたのは事実っぽいですが・・・・・・

    妹である王妃ジェーン・シーモアのエピソード見るに元から野心家だったようですから、同情の余地はありませんわね。

    自ら火中の栗を拾いに行ったのですから。
  • No:562 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part557 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/08/02 09:22:28 単表示 返信

    とまあそういった訳で。

    万策尽きた初代サマセット公エドワード・シーモアは1549年10月12日に失脚し、毎度お馴染ロンドン塔に幽閉されました。

    1547年に下半身王がお亡くなりになってから僅か2年半強の天下でした。

    客観的に見て恥と言うか悔いの多い人生だったように思われますが、まあ『持ってない』人だったのもまた明らかでしたので残当と言う他ありませんわね。

    無駄に野心を抱かなければそこそこの人生送れてたぽいですが、自分の意志で選んだ道ですから仕方ありません。

    諸行無常ですわ。


              ◇          ◇          ◇


    さて。

    見事怨敵サマセット公を蹴落してノーサンバランド公爵と成り上がったライル卿ことジョン・ダドリーですが。

    どこぞの国のように前任者全否定から入るかと思いきやそうでもありませんでした。

    特に宗教施策は引き続きプロテスタント化を推進し、より露骨に新教化した共通祈祷書の設置を義務付けたり、42信仰箇条を制定し法整備を強化したりしました。

    当人は結構どっちつかずであったと言われていますが・・・・・・

    一応国王エドワード6世が前任者のせんのゲフンゲフン教導によりガチガチのプロテスタントになっていたので忖度したぽいです。

    旧教関係者にとっては実にいい迷惑であったでしょう。


              ◇          ◇          ◇


    一方外交においてはスコットランドと講和。

    新たな領土を求めて大航海時代を幕開けたりとそれなりに有能でした。

    内政でも一応会計監査制度を導入したりとそこそこ成果を上げています。

    これら成果を見ていると無能ではなかったと思われますが・・・・・・

    就任2年後に決定的なやらかしをするのです。


              ◇          ◇          ◇


    やらかし、と言っても別に致命的な失政をしたとかではありません。

    傀儡であった国王エドワード6世が病に倒れたのです。

    ここでも本人的には政権乗っ取りを臨んだ訳ではなかったようですが・・・・・・

    結果的にと言いますか状況的にそうせざるを得ない事態に追い込まれてゆくのです。
  • No:563 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part558 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/08/09 07:02:46 単表示 返信

    9歳で即位したエドワード6世は例によって病弱でした。

    当時の青い血族の流行・・・・・・と言ったら不謹慎ですかね?

    ただまあ衛生事情も栄養事情も劣悪な時代でしたから。

    早死には身分の貴賤を問わなかったのは想像に難くありません。

    しかして。

    そんな有り触れた『死』であっても。

    やはり国の頂点に立つ存在である以上、混乱と蠢動は避け得ないものであったのです。


              ◇          ◇          ◇


    さて。

    諸々の負債と地雷をバラ撒くにいいだけバラ撒いてくたばった下半身王ですが。

    腹立たしいことに政治的感覚だけは秀でていたので、息子の天下が長く続かないであろうことを察知していました。

    なので彼はエドワード6世の更に次の王まで指名していたのです。

    その名はメアリー1世。

    最初の王妃キャサリン・オブ・アラゴンとの間に生まれた一粒種です。


              ◇          ◇          ◇


    まあぶっちゃけ。

    別にサリカ法に縛られている訳でもないイングランドではメアリーの方がフッツーに継承順位高かった訳ですが。

    王は男子でなきゃヤダいと駄々こねた下半身王が余計な混乱招いただけともいいますが。

    奴にも多少の後ろめたさはあったのかも知れません。

    もっとも。

    メアリー以外の候補と言えば次に生まれたエリザベス1世だけでしたので。

    選択肢はあってないようなものでした。


              ◇          ◇          ◇


    という訳で。

    悪性感冒にかかってベッドから起き上がれないエドワード1世を、ノーサンバランド公ジョン・ダドリーはあっさり見限る決断を下したのですが・・・・・・

    遺言に従えば、次の主はメアリー1世に自動的に決まりです。

    しかし。

    彼ライル卿には、それを認める訳には行かない事情があったのです。

  • No:564 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part559 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/08/16 09:08:34 単表示 返信

    前にも述べましたがライル卿の宗教政策は新教推進です。

    忌憚なく言えば新教強制です。

    これはエドワード6世がプロテスタントに洗脳ゲフンゲフン傾倒しまくってたからですが・・・・・・

    次期王たるメアリー1世は、頑強なまでにカトリックだったのです。


              ◇          ◇          ◇


    そもそもメアリー1世の母たるキャサリン・オブ・アラゴンからして「カトリック両王」と呼ばれたアラゴン王フェルナンド2世とカスティーリャ女王イザベル1世の子です。

    文字通り年季が違います。

    周囲が何を言おうが改宗などするはずがありませんでした。

    まあつまるところが。

    メアリー1世が即位なんぞした日には、積み上げてきた新教改革が全部ご破算になるのは火を見るよりも明らかだったのです。


              ◇          ◇          ◇


    更にそれだけで済めば御の字もいいところで・・・・・・

    メアリー1世はこの期に及んでも「プリンセス」と呼ばれていませんでした

    これは王位継承権こそ復活したものの、周囲からは王女と認められてなかったことを意味します。

    そんな見下され人生を送ってきた王族が権力を握ったらどうするか?

    そんなもん決まってます。

    粛清と復讐です。


              ◇          ◇          ◇


    とまあ、そんな訳で。

    見えてる時限爆弾を回避すべく、ライル卿は強引な手に出ます。

    ヘンリー7世の曾孫であるジェーン・グレイの擁立です。