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No:545 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part540 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/04/05 09:33:10 単表示 返信

そもそもナニが問題だったかと言いますと。

聖書に兄弟と再婚禁止と書かれているからです。

お前は何を言ってるんだと思いましたわね?

わたくしもそう思いますわ。

正確には「関係を持った兄弟との再婚禁止」なのですが同じですわ。

しかし。

この些細な違いに付け込む輩がいたのです。

それが仮にも国王なのですからこの時代マジ終わってますわ。


          ◇          ◇          ◇


更に最悪なことに、事実確認(意味深)に当事者が一切含まれていなかった挙げ句に政治暗闘の結果『なかった』ことにされたことです。

もうね、言葉もありませんわ。

なお「あった」と主張した側は強制国外退去されました。

もうね(ry

権力者が言えば黒でも白になるの額縁入り見本ですわ。


          ◇          ◇          ◇


ちなみに。

キャサリンはこの後今度は結婚自体を『なかった』ことにされます。

アーサーとの結婚ではありません。

強引に結婚させられたヘンリー8世との結婚が、です。

わたくしならここまでコケにされて黙っていられませんし、キャサリン自身も離婚()を生涯認めなかったと言います。

そしてこの傍若無人のクズ王共がもたらした混乱は。

永くイングランド及び欧州全体に祟り続けることになります。


          ◇          ◇          ◇


そしてその「第一の爆弾」こそが死産を繰り返したキャサリンの唯一の娘「ブラッディ」メアリー1世です。

何故なら国王との結婚が「なかったこと」になれば、当然継承権も消滅するからです。

スコットランド女王のメアリー・スチュアートとは遠い親戚に当たりますが・・・・・・

揃ってエリザベス1世と王位争いするとは歴史の皮肉と闇を感じますわね。
  • No:546 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part541 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/04/12 09:27:55 単表示 返信

    さて。

    ヘンリー8世は事下半身事情に置きましてはクズofクズでありましたが・・・・・・政治的には無能の人ではありませんでした。

    イングランドはサリカ法の支配下ではありませんし事実メアリー1世やエリザベス1世のように女王を何人も輩出してはいます。

    しかし慣例といいますか当時のふいんき的に、血縁の近さが似たようなものなら男子が優先されるべき論が燻ぶり続けていました。

    更に現テューダー朝は父ヘンリー7世が開いたばかりで歴史も何もありません。

    そんな訳で、付け入る隙は潰しておきたい思考はまあ、理解できます。


              ◇          ◇          ◇


    しかしヘンリー8世の下半身クズの本領はここから発揮されます。

    キャサリンを生む機能喪失と見倣して王妃の立場を剥奪。

    宮廷から追放し、あまつさえキャサリンの侍女だったアン・ブーリンを後釜に据えて再婚したのです。


              ◇          ◇          ◇


    ・・・・・・いやもうね。

    悪役令嬢ものの冒頭ですかと。

    もっともこの後の展開を考えますとラノベの方が遥かにマシですが。

    何しろ破滅するのは強欲に正后を求めたアンだけで、ヘンリー8世はこの後も何人も妃取っ替え引っ替えして贅沢に55歳までのうのうと生きやがりましたし、キャサリンに至っては死後メアリー1世が名誉回復するまで不遇のままの生涯でした。

    こんなもん刊行したら大炎上待ったなしですわ。

    まっこと、現実はクソゲーですわね。


              ◇          ◇          ◇


    更に、です。

    アンとヘンリー8世は無責任にも最大級の「第二の爆弾」を残して逝きやがりました。

    ヘンリー8世と正后になったアンとの間に生まれた後継者。

    イングランドの黄金期を築き、過酷な運命と取っ組み合いの大喧嘩をした女、クイーン・エリザベスI。

    中世欧州の風雲児にして最大の爆弾が、生まれ落ちたのです。
  • No:547 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part542 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/04/19 09:55:22 単表示 返信

    エリザベス1世についてはこれまでもちょくちょく・・・・・・と言いますかしょっちゅうレベルで出てきてますが。

    フランスのみならずオランダとあーだこーだしたりスペインとバチバチやり合ったりと、それはもう無駄に精力的に働いていました。

    まあ、当時のイングランドなんて吹けば飛ぶよな弱小島国ですからね。

    座してたら死を待つのみだったのは事実です。


              ◇          ◇          ◇


    ただまあ。

    成り行きと言いますか腐れ親父の負の遺産と言いますかでユグノーの守護者的ポジになってしまったのは・・・・・・誰にとっても不幸でした。

    何故ならば。

    彼女が国教として据えたイングランド国教会は・・・・・・

    元を正せばクズ親父が離婚を正当化するために設立したものだからです。


              ◇          ◇          ◇


    はい其処の貴方。

    気は確かかと思いましたわね?

    わたくしもそー思いますわええ。

    マジでマジで。

    しかし悲しいかな、これがっつり歴史的事実なのですわ。


              ◇          ◇          ◇


    そもそも論としまして。

    ヘンリー8世とキャサリンの結婚には最初から瑕疵がありました。

    持参金返したくないなるクズ男の理由で教会に特例認めさせるごり押ししたのは他ならぬヘンリー8世の方です。

    それを都合が悪くなったからと「やっぱり厳正にしよううん」などとほざいて結婚なんて成立してなかったと掌返すのはもう人として恥の概念ないのかと言わざるを得ません。

    ほんっっっっっっっっっっっっっっっっとうっに、女の敵以外の何者でもありませんわええ。
  • No:548 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part543 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/04/26 09:34:39 単表示 返信

    そして当然と言いますかアタリマエと言いますか。

    自己中掌返しに教会側は大激怒。

    意地でも結婚の無効は認めないと態度を硬化させます。

    そうして押し問答している間に事態は新たな局面を迎えます。

    神聖ローマ皇帝兼スペイン王カール5世がローマに侵攻・征服し、時の教皇クレメンス7世を監禁する大事件が起こったのです。


              ◇          ◇          ◇


    当時のイタリア/ローマはフランスとハプスブルグ家の戦争の渦中にあり、またルターがプロテスタントをぶち上げたりで不安定な情勢にありました。

    そんな中。

    クレメンス7世は当時のフランス国王フランソワ1世と手を組んでカール5世と対立姿勢を見せ始めます。

    これに対しカール5世は直ちに報復を決定。

    ローマに血と火の雨を降らせます。

    後の世に言う「ローマ劫掠」です。


              ◇          ◇          ◇


    一説によるとカール5世の意図はクレメンス7世の監禁までであり、市街での狼藉三昧は命じたものではなかったとも言われています。

    しかしその場合でも元を辿れば、スペインの軍事費枯渇で兵にマトモに禄を与えてなかったのが原因と言われていますので、カール5世の責任問題ではあります。

    何れにせよ。

    この暴虐によって教皇庁の神聖不可侵性は見事にぶち殺され、権威は致命的ダメージを受けます。

    ついでに文化人も多数ぶち殺されましたので、ルネッサンスも強制終了となりました。

    いやあ流石は海賊国家ですわ。

    フッツーに蛮族ですわね。


              ◇          ◇          ◇


    ちなみに。

    離婚問題で揉めまくってるキャサリンはカール5世の叔母に当たります。

    後はまあ、お察しという奴ですわね。
  • No:549 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part544 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/05/03 12:17:31 単表示 返信


    それでもクレメンス7世は諦めが悪かったのか、離婚調停裁判を開廷します。

    ここで見事離婚問題解決できれば失地回復の目もあったのでしょうが・・・・・・

    何が何でも離婚したいヘンリー8世とどうあっても王妃の立場維持したいキャサリンとで折り合いがつくはずもなく。

    裁判は無為に踊るだけだったのです。


              ◇          ◇          ◇


    まあ現実は非情と言いますか。

    結局どうあがいても事態の解決が見込めないと悟った教皇は、裁判を休廷して問題をローマ教皇庁に丸ごとぶん投げます。

    だったら最初から手を出すなという話ですが・・・・・・ローマ劫掠の大失態を挽回しようと焦りもあったんでしょう。

    結果的には大失敗だった訳ですが。

    もっとも離婚を認めたら認めたでスペインから睨まれるのは確定してますし、最悪ローマ劫掠アゲインにもなりかねませんでした。

    有り体に言って詰んでますわね。


              ◇          ◇          ◇


    そんなこんなで。

    教会側に離婚を認める気が絶無と悟ったヘンリー8世は、最終手段に打って出ます。

    「自分たちに都合のいい教会設立しちゃえばいいじゃない」と。

    かくしてイングランド国教会は設立され、国内の宗教関係者は国教会に所属するか国外追放かの二択を迫られました。

    結局イングランド聖職者会は国教会に鞍替えを選択しましたが・・・・・・

    裏で血で血を洗う暗闘が展開されてたのは公然の秘密だったのです。


              ◇          ◇          ◇


    まあもっとも。

    いくら国王が政治的には有能であっても、私的色ボケだけでここまで大規模な制度改革が出来た訳ゃありません。

    其処には当然、イングランドの長きに渡る政治宗教対立があったのです。
  • No:550 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part545 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/05/10 09:32:04 単表示 返信

    ざっくり言いますと聖職者に対する財産権及び裁判権は教皇が管理していて、国からは口出しできない状態でした。

    治外法権もいいところですわね。

    そんなだから腐敗が進んで宗教改革戦争が勃発する訳ですがそれはともかく。

    宮廷や議会からの評判が最悪なのは当然のことと言えます。

    国王の色ボケに眉を顰めていても、乗るしかないこのビッグウェーブにてなもんです。

    坊主も生臭ければ役人議員も生臭とは地獄ですが、まあ現実なんてこんなもんですわね。


              ◇          ◇          ◇


    またヘンリー8世が無駄に下半身パワーを発揮して文献を漁りまくり、霊的首位権は教皇の専売特許ではないとの論陣を張りました。

    これは聖職者の権力からの排除に一定の効力を示したとされ、後の王権神授説にも影響を与えたと言われています。

    基督教において重要なマイルストーンでありましたが・・・・・・

    ほぼ教義に関係ないシモ事情が原動力と考えると、なんとも微妙な気持ちになりますわええ。


              ◇          ◇          ◇


    その後。

    ヘンリー8世は宗教改革議会を発足させ、次から次へと聖職者の特権を奪う法律を制定します。

    聖職者兼業の禁止、教会裁判権の剥奪etcetc...

    中でも決定的だったのが1533年に制定された上告禁止法です。


              ◇          ◇          ◇


    これは裁判はイングランド国内で完結するものとし、国外(要するにローマ教皇)の裁判権を認めないというものでした。

    つまり教皇は離婚問題について影響力を持てなくなると言うことであり、キャサリンが教皇に助けを求めることも出来なくされたのです。

    当然の如く時の教皇クレメンス7世はヘンリー8世を破門しましたが・・・・・・

    ヘンリー8世にとってはむしろ望むところだったのです。
  • No:551 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part546 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/05/17 09:39:55 単表示 返信

    恐らくですが。

    ヘンリー8世はローマ教皇庁を舐め腐っていたんだと思います。

    事実、当時の教皇庁はローマ劫掠で機能不全に陥っており、ネ申の威光を代理するとは口が裂けても言えない状況でした。

    実際に破門されたのは劫掠から10年も経ってからですが、その頃には上告禁止法どころか国王至上法まで制定運用されており。

    自前の宗教基盤(イングランド国教会)を確立させたヘンリー8世にとっては痛くも痒くもなかったのです。


              ◇          ◇          ◇


    とまあ生い立ちからしてローマ教皇庁と敵対するイングランド国教会ですが。

    後世で言うほどプロテスタントではありませんでした。

    此所ら辺は流石脳が色欲で爛れてても政治手腕だけは一流のヘンリー8世だけのことはあります。

    本人自身がアレでも敬謙なカトリック信者ということもありますが・・・・・・

    言ったら何ですが、当時のプロテスタントは御世辞にも政治に関わらせていいシロモノではなかったからです。


              ◇          ◇          ◇


    上層部がどんな崇高な精神だったか知りませんが、多くのプロテスタント信者はぶっちゃけただのルサンチマンでテロリストでした。

    そんな連中懐に入れたところで政治的には百害あって一利なしというものです。

    愚民は要求だけして自分の頭でモノ考えませんからね。

    ただその思惑も、ヘンリー8世死後は大きく外れていくことになります。


              ◇          ◇          ◇


    ヘンリー8世の嫡子エドワード6世は10歳で即位しました。

    お隣フランスを例に出すまでもなく、当時の欧州王家にとっては大して珍しくもない幼王ですが・・・・・・

    例によって、実権を握る摂政が問題でした。

    エドワード・シーモア。

    ヘンリー8世の3番目の正室ジェーン・シーモアの兄であり。

    新王エドワード6世の伯父に当たる人物です。
  • No:552 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part547 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/05/24 16:25:28 単表示 返信

    繰り返しになりますが。

    ヘンリー8世は政治的には無能という訳ではありませんでした。

    配下が野心でギラついてるのも承知していたのです。

    そこでかの二面王は予め遺言状を認めています。

    没後政治の骨子としては

    1.王太子即位後、成人までは枢密院が統治を行うこと
    2.枢密院の決定には枢密顧問官過半数の賛成が必要であること

    以上2つを定めたのです。


              ◇          ◇          ◇


    要するに特定個人が王の如く振る舞うのを禁じた遺言でしたが・・・・・・

    エドワード・シーモアは歯牙にもかけませんでした。

    ヘンリー8世が崩御するや否や速攻で王太子エドワード6世を確保。

    息もつかせず枢密顧問官を掌握し、枢密院に摂政就任を認めさせました。

    そうしてイングランドを手に入れたエドワード・シーモアは次なる野望を燃やします。

    国内プロテスタント教化とスコットランドの併合です。


              ◇          ◇          ◇


    手始めに枢密院からカトリック派を罷免し、カトリック主教を片っ端から牢屋に放り込みます。

    議会工作をし、六信仰箇条法等のプロテスタント迫害法の廃止を強力に押し進めました。

    更にはバラバラだった礼拝様式を統一する礼拝統一法を制定します。

    これはほぼほぼプロテスタント式以外の礼拝は違法とする代物で、申し訳程度に旧教式でやっても許容する上から目線と言いますか過激な内容でした。

    当たり前にカトリックの反乱が起きましたが、広がる前に鎮圧されています。

    かくしてイングランドはプロテスタントのたまり場と化したのです。


              ◇          ◇          ◇


    ただまあ。

    礼拝の仕方こそほぼプロテスタントになりましたが、イングランド国教会自体は一貫してカトリックのままでした。

    少なくとも、この時点までは。

    内実がプロテスタントになりつつも完全に新教にならなかったのは諸々紆余曲折があったのですが・・・・・・

    それはまたの機会といたしましょう。
  • No:553 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part548 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/05/31 09:38:01 単表示 返信

    とまあエドワード・シーモアのイングランド新教化への野望は志半ばにして中途半端な結果に終わった訳ですが。

    もう一つの野望・スコットランド併合に関してははっきりと生きてる内に大惨敗に終わりました。

    当時のスコットランド女王はあのメアリー・スチュワートであり。

    もうこの時点でオチが見えたと言えるでしょう。


              ◇          ◇          ◇


    まあとは言うものの。

    この当時メアリーは赤子であり、神ならぬ身でその後の恋愛脳ぶりを見抜けというのも酷な話ではあります。

    まあもっとも。

    このタイミングで画策せざるを得なかった時点でエドワード・シーモア持ってないなと言わざるを得ませんわねええ。


              ◇          ◇          ◇


    間の悪さは無理矢理婚約成立させた後も続きます。

    スコットランドの時の摂政アラン伯ジェームズ・ハミルトンがフランスの工作に負けて旧教に改宗し、親英派から親仏派に華麗に鞍替えします。

    その報復としてエドワード・シーモアは2万の大軍でスコットランドに攻め寄りました。

    危険を感じた王母メアリー・オブ・ギーズは幼い娘と共にフランスに亡命。

    同時に当時フランス王太子のフランソワ2世に娘の嫁ぎ先をチェンジしてエドワード・シーモアの野望は見事ご破算となったのです。


              ◇          ◇          ◇


    その後もエドワード・シーモアの受難は続きます。

    あろうことか弟のトマス・シーモア(40)が14歳のエリザベス1世に結婚迫って反逆罪で処刑という、全時代でアウトな事案やらかしたのです。
  • No:554 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part549 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/06/07 09:42:49 単表示 返信

    通称「シーモア事件」と後の世で呼ばれるクーデター未遂事件は、イングランド宮廷に激震を御見舞いしました。

    と言いますかあらゆる倫理においてアウツをやらかす以前から、このトマス・シーモアという男は諸々やらかしていたのである意味必然ではあったかもしれません。

    まあ倫理においてもヘンリー8世が崩御したその年に未亡人王妃とケコーンするくらいですから、最初からそんなもんなかったと思いますけどね。


              ◇          ◇          ◇


    もっとも。

    この件に関しては例によって下半身王に問題があったようで・・・・・・

    元々トマスと「最後の王妃」キャサリン・パーは交際があったようです。

    それはシモ脳王が3回目の再婚した頃からと言われてますので、国王の方が明白に略奪婚でありました。

    ちなみに邪魔なトマスは事前にブリュッセルに飛ばし済です。

    いやもうどんだけハラスメントしてるんですかこの屑王は。

    死後は数え厄満で地獄めぐりフルコース確定ですわね。


              ◇          ◇          ◇


    ちなみに。

    このキャサリン、屑王にはもったいないほど完璧な王妃だったようで。

    後のメアリー1世とエリザベス1世の誕生は、この人の尽力の賜物と言って過言ではありません。

    しかし男運だけはなかったようで・・・・・・

    トマスと再婚後、女児を授かりましたが産後の肥立ちが悪く世を去りました。

    ただ一人の娘もまもなく夭逝し、彼女の残した形あるものは何もなかったのです。


              ◇          ◇          ◇


    もしも。

    キャサリンがそのまま宮廷に残り、摂政に就任しないまでもその聡明なる影響力を振るっていたら。

    イングランドひいては欧州の歴史は違ったものになっていたかもしれません。

    特に神学への造詣は、宗教戦争への影響すらあったかもと言ったら言い過ぎでしょうか。

    しかし現実は非情です。

    キャサリンは死に、摂政の座には野心家が座ったのです。