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No:562 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part557 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/08/02 09:22:28 単表示 返信

とまあそういった訳で。

万策尽きた初代サマセット公エドワード・シーモアは1549年10月12日に失脚し、毎度お馴染ロンドン塔に幽閉されました。

1547年に下半身王がお亡くなりになってから僅か2年半強の天下でした。

客観的に見て恥と言うか悔いの多い人生だったように思われますが、まあ『持ってない』人だったのもまた明らかでしたので残当と言う他ありませんわね。

無駄に野心を抱かなければそこそこの人生送れてたぽいですが、自分の意志で選んだ道ですから仕方ありません。

諸行無常ですわ。


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さて。

見事怨敵サマセット公を蹴落してノーサンバランド公爵と成り上がったライル卿ことジョン・ダドリーですが。

どこぞの国のように前任者全否定から入るかと思いきやそうでもありませんでした。

特に宗教施策は引き続きプロテスタント化を推進し、より露骨に新教化した共通祈祷書の設置を義務付けたり、42信仰箇条を制定し法整備を強化したりしました。

当人は結構どっちつかずであったと言われていますが・・・・・・

一応国王エドワード6世が前任者のせんのゲフンゲフン教導によりガチガチのプロテスタントになっていたので忖度したぽいです。

旧教関係者にとっては実にいい迷惑であったでしょう。


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一方外交においてはスコットランドと講和。

新たな領土を求めて大航海時代を幕開けたりとそれなりに有能でした。

内政でも一応会計監査制度を導入したりとそこそこ成果を上げています。

これら成果を見ていると無能ではなかったと思われますが・・・・・・

就任2年後に決定的なやらかしをするのです。


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やらかし、と言っても別に致命的な失政をしたとかではありません。

傀儡であった国王エドワード6世が病に倒れたのです。

ここでも本人的には政権乗っ取りを臨んだ訳ではなかったようですが・・・・・・

結果的にと言いますか状況的にそうせざるを得ない事態に追い込まれてゆくのです。