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No:551 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part546 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/05/17 09:39:55 単表示 返信

恐らくですが。

ヘンリー8世はローマ教皇庁を舐め腐っていたんだと思います。

事実、当時の教皇庁はローマ劫掠で機能不全に陥っており、ネ申の威光を代理するとは口が裂けても言えない状況でした。

実際に破門されたのは劫掠から10年も経ってからですが、その頃には上告禁止法どころか国王至上法まで制定運用されており。

自前の宗教基盤(イングランド国教会)を確立させたヘンリー8世にとっては痛くも痒くもなかったのです。


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とまあ生い立ちからしてローマ教皇庁と敵対するイングランド国教会ですが。

後世で言うほどプロテスタントではありませんでした。

此所ら辺は流石脳が色欲で爛れてても政治手腕だけは一流のヘンリー8世だけのことはあります。

本人自身がアレでも敬謙なカトリック信者ということもありますが・・・・・・

言ったら何ですが、当時のプロテスタントは御世辞にも政治に関わらせていいシロモノではなかったからです。


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上層部がどんな崇高な精神だったか知りませんが、多くのプロテスタント信者はぶっちゃけただのルサンチマンでテロリストでした。

そんな連中懐に入れたところで政治的には百害あって一利なしというものです。

愚民は要求だけして自分の頭でモノ考えませんからね。

ただその思惑も、ヘンリー8世死後は大きく外れていくことになります。


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ヘンリー8世の嫡子エドワード6世は10歳で即位しました。

お隣フランスを例に出すまでもなく、当時の欧州王家にとっては大して珍しくもない幼王ですが・・・・・・

例によって、実権を握る摂政が問題でした。

エドワード・シーモア。

ヘンリー8世の3番目の正室ジェーン・シーモアの兄であり。

新王エドワード6世の伯父に当たる人物です。