No:
511
タイトル:
GEAR戦士撫子 新Part506
お名前:
プロフェッサー圧縮
投稿日:
2022/08/10 20:24:20
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さて。
一夜明けて1572年8月23日、カトリーヌは愛する息子シャルル9世の元を訪れます。
昔結核を患って以来病弱なままの弱気王は、案の定ひどく落ち込んでいました。
しかし母后は容赦なくあるリストを目の前に広げます。
24人とも36人とも言われるそれは──────
コリニー提督暗殺未遂事件の報復としてパリ占領を企むとされた、結婚式に参列していたユグノー貴族の粛清リストだったのです。
◇ ◇ ◇
当然の如くシャルル9世は渋りました。
今更言うまでもないことですがコリニー提督はプロテスタントの事実上の盟主であり、ユグノー貴族らは彼の仲間です。
彼らを粛清するということは父と呼ぶコリニー提督への真っ向からの反逆です。いやまあ仮にも権力の頂点たる国王が反逆等というのもおかしな話ではあるのですが。
政務のほとんどをカトリーヌに取られ、長年操り人形と化していたシャルル9世の情緒が発達してなくても致し方ないかも知れません。
いい歳して稚気の抜けきらない王もまた、この惨劇を構成する役割を担ったのです。
◇ ◇ ◇
そんな王に、母カトリーヌはあらゆる手段を用いて説得を仕掛けます。
最初は「新教徒は外患である」路線で攻めたといいます。
実際過去3度の戦役においてユグノー軍はイングランド女王エリザベスの支援を受けており、イングランド軍がル・アーブル他幾つかの都市を占領したことすらあります。
この脅威は客観的に見ても正しく、説得材料として十分と思われたのですが・・・・・・
シャルル9世は、これをもってユグノー粛清命令を承諾することはなかったのです。
◇ ◇ ◇
勿論コリニー提督への個人的感情があったことは想像に難くありません。
しかし現時点においてフランス領土内にイングランド兵の影はなく。
些か暴論ではありますが「イングランド恐るに足らず」という主張にもある程度の根拠があると言わざるを得ません。
イングランド以外の因縁の国々もフランス以外の相手で忙しく・・・・・・
この時点に限っては、外患は言うほど脅威ではなかったのです。