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No:523 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part518 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2022/11/02 09:39:04 単表示 返信

ところで。

若い頃ユグノー貴族の取り巻き引き連れてブイブイ言わせてたアンジュー公が何故にカトリック不満派の頭目になぞ祭り上げられたかと言いますと。

どうもアンジュー公フランソワ、宗教的主張はどうでもいい派だったようで。

要するに自分を疎む母と兄弟に嫌がらせする以上のことは考えてなかったぽいのです。

迷惑系甘ったれも極まれリですが・・・・・・

カトリーヌは特にひとつ上の兄アンリ3世を溺愛してたらしいので。

彼だけが悪いとも言い切れない部分はあります。


          ◇          ◇          ◇


ついでに不満派はカトリックの専売特許という訳でもなく、例えばラングドック地方総督モンモランシー=ダンヴィルは1574年11月にプロテスタント派に寝返っています。

と言う訳でフランソワ首魁の反宮廷派は無視できない勢力に膨れ上がり、更にはプファルツ=ツヴァイブリュッケン公ヨハン1世もシャンパーニュに侵攻し王家に敵対する動きを見せ。

代替わりしたばかりの国王軍は圧倒的不利と見られるようになりました。

今正面衝突するのはあまりに危険と判断したアンリ3世は、王弟フランソワと交渉の席を設けることになります。


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現在の情勢をよく理解していたフランソワは、それはもうかさにかかってきたと言います。

結局アンリ3世とカトリーヌは、ほとんどフランソワの言いなりのボーリュー勅令を発せざるを得ませんでした。

王家側の腰砕けはダダ漏れだったようで、この和議協定は「王弟殿下の和議(paix de Monsieur)」と呼ばれるようになります。

この勝利こそフランソワが長年求めてやまなかったものであり。

彼のさして長くない生涯で最高に輝いた頂点でありました。


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ちなみに王家にとって泣きっ面に蜂なことに、サン・バルテルミの虐殺時に捕縛して王宮の隅に押し込めていた元プロテスタントの盟主ナバラ王アンリと腹心コンデ公アンリも時を前後して脱走。

強制的に改宗させていたカトリックからプロテスタントに復帰し、ユグノーの盟主として活動を再開しました。

やはり殺っておけばよかったと後悔しても後の祭り。

もっとも後のアンリ4世としての治世を考えると、虐殺時に殺されていたらその後のフランスはもっと酷いことになっていた可能性もあります。

全く、歴史は何がよく働くかわかったもんではありませんわね。