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No:552 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part547 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2023/05/24 16:25:28 単表示 返信

繰り返しになりますが。

ヘンリー8世は政治的には無能という訳ではありませんでした。

配下が野心でギラついてるのも承知していたのです。

そこでかの二面王は予め遺言状を認めています。

没後政治の骨子としては

1.王太子即位後、成人までは枢密院が統治を行うこと
2.枢密院の決定には枢密顧問官過半数の賛成が必要であること

以上2つを定めたのです。


          ◇          ◇          ◇


要するに特定個人が王の如く振る舞うのを禁じた遺言でしたが・・・・・・

エドワード・シーモアは歯牙にもかけませんでした。

ヘンリー8世が崩御するや否や速攻で王太子エドワード6世を確保。

息もつかせず枢密顧問官を掌握し、枢密院に摂政就任を認めさせました。

そうしてイングランドを手に入れたエドワード・シーモアは次なる野望を燃やします。

国内プロテスタント教化とスコットランドの併合です。


          ◇          ◇          ◇


手始めに枢密院からカトリック派を罷免し、カトリック主教を片っ端から牢屋に放り込みます。

議会工作をし、六信仰箇条法等のプロテスタント迫害法の廃止を強力に押し進めました。

更にはバラバラだった礼拝様式を統一する礼拝統一法を制定します。

これはほぼほぼプロテスタント式以外の礼拝は違法とする代物で、申し訳程度に旧教式でやっても許容する上から目線と言いますか過激な内容でした。

当たり前にカトリックの反乱が起きましたが、広がる前に鎮圧されています。

かくしてイングランドはプロテスタントのたまり場と化したのです。


          ◇          ◇          ◇


ただまあ。

礼拝の仕方こそほぼプロテスタントになりましたが、イングランド国教会自体は一貫してカトリックのままでした。

少なくとも、この時点までは。

内実がプロテスタントになりつつも完全に新教にならなかったのは諸々紆余曲折があったのですが・・・・・・

それはまたの機会といたしましょう。