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No:521 タイトル:GEAR戦士撫子 新Part516 お名前:プロフェッサー圧縮 投稿日:2022/10/19 09:21:36 単表示 返信

アンジュー公がポーランド王に選出されたのが1573年5月でポーランド入りしたのが1574年1月、夜逃げしたのが同年6月と言われていますから、選出から計算しても1年ちょっとの政権です。

セミのような政権と呼んで差し支えないですが・・・・・・

勿論王が存命中に政権が終わるなど前代未聞です。

・・・まあ、200年ほど後に他ならぬフランスで国王夜逃げ事件が再発するのですが。

それはまた別の講釈にて。


          ◇          ◇          ◇


ちなみに。

ポーランド王に選出されてからポーランドに来るまで半年程空いてますが・・・・・・

これはサン・バルテルミの虐殺からこんち結核が悪化する一方のシャルル9世の後釜狙い身を案じて中々フランスを発たなかったからと言われています。

まあポーランド王としての活動から見て、少しくらいポーランド入りが早まったところで何か変わるとは思えませんが。

シャルル9世崩御はポーランド王選出からまるっと1年後ですから、粘ったところで意味はなかったのです。


          ◇          ◇          ◇


ともあれ。

国王に夜逃げされたポーランドは当然大騒ぎになりました・・・・・・

なりました

是が非でも連れ戻そうという気は全くと言っていいほどありませんでした。

前述のようにポーランド貴族はアンジュー公のやり方に不満しかなかったので、むしろ清々したわと思った貴族が大半だったのです。

それでも正規手段で選出された国王なので、一応1575年5月12日までの猶予を設け、それまでに戻ってこなければ王位を剥奪する旨通達を出しました。

出しっぱなしで特に催促もしなかったらしいので、文字通り形だけーのポーズでした。

当然の如くアンジュー公はガン無視したので期限オーバーで王位失効が宣言されましたが、当人は死ぬまでポーランド王を名乗っていたそうです。


          ◇          ◇          ◇


さて。

フランスに舞い戻って早々アンジュー公アンリは戴冠式を行い、フランス王アンリ3世となりました。

国内は宗教対立が激化の一途を辿っており、これをどうにかすることが喫緊の課題でした。

しかもただでさえ出口の見えない問題に、身内から火に油を注ぐ者まで出てきます。

エルキュール・フランソワ・ド・フランス。

アランソン公フランソワとも呼ばれるカトリーヌ最後の息子です。